今から七年前、僕の母は殺された。
いや、ただ、僕がそう確信しているだけなんだ。
この事に関しては既に他の場所で書いたことがあるし、僕は原則として同じ内容を繰り返して述べることは、自らに禁じているので、これはその禁を犯す事になってしまうので、正直かなり躊躇したのですが、繰り返し、記して置かないと、忘れられてしまう。忘れることを望んでいる人たちも確かに存在するので、ある感情に追い立てられるように、記録して置こうと思ったって訳です。


母は脳梗塞で倒れ、右半身不随の、車椅子での生活を送り、僕はそれを一応介助していたのでした。
詳細は、省きますけど、病院を退院した約一週間後の出来事なんです。
その日の午後、母が部屋で休んでいるあいだに、僕は急いでシャワーを浴びた、その直後のことでした。
僕は自身の濡れた体をせわしなくタオルで拭って、急いで母の所へ行きました。車椅子でぼーっと焦点の合っていない様な眼差しで、母は自宅の庭を眺めてた。
話かけるために、僕は母の顔を覗き込んだ。
一瞬こころが凍りついたな。
驚いた。

だって、母の眉間には大きな切り傷が、ざっくりと刻まれていたんだもの。
最初は部屋で起こった事故だって、そう思った。
でもね、自宅は車椅子生活をいまから送る、母のために、安全に暮らしていくことができるように、入院していた病院の理学療法士たちと、事前にかなり時間をかけて、しかもその理学療法士さんたち、何人も家のリフォームをする前に、自宅を訪れ、母がこれから暮らす現場を見て、そして設計してもらったんだよ。
それなのに、そんな準備万端整えた部屋で、理由不明の事故が起きたって?
それは、一体どういうこと何だろう?
それから、色々あったんだけど、それはざっくり、今は省略しまして、結末だけを述べさせて下さいね。
結局、母は亡くなりました。
その日葬儀場で、棺のなかに納められてる、遺体を見て。
母の額の大きな傷を(一見すると切り傷にしか見えなかったその傷を)、ひとめ見た僕は、ゾッとしたものです。
背中にドライアイスを押し当てられたみたいなそんな、衝撃でした。
いままでただの(理由のわからぬ傷だけど)切り傷だとは思ってた。
でも、いま僕の目の前のその傷は、大きくそして、かなり深く、皮膚が、かなり厚く分厚くめくれあがって、いた。
それ見て、思った、「これ切り傷じゃないよ。刺し傷だよ」だって、僕の眼前の光景は、普通にそうしか見えなかったもの。
刺し傷か?本当に?
外にでかけることは、病院に行くときだけなのに、自宅の部屋で生活している、そんな母の額の傷。
いったい誰が?
証拠はどこにも残ってない、残されてない。
でも、こんなこと目の当りにしたら、思うよね。
いったい誰が?
てさ。
多数決なら、何でもできるのかなぁ。
多数決なら、嘘も本当に仕立てられるのかなぁ。
思ったよ。
軽いな。ひとの命。

今から七年まえの桜が咲き始める、少し前の事でした。