母が退院できた。
実に25日間の入院だった。
今、カレンダーを見ながらそう考えて少し驚いた。
そんなに長かったんだ。
バスと電車を乗り継いで三日にあげず面会に行って、その度に状況が色々と変わって、なんだかもう体も心も忙しかったせいか、十日くらいにしか感じなかった。
ああ。私はこうやってどんどん歳を取っていくんだわ。<そこか?
本来このブログの1行目には「無事に退院できた」と書くのだろうけれど、なんだかあまり無事と言えるのかどうかわからなかったので書けなかった。
退院では着替えもさせなければいけないだろうし、荷物もまとめなきゃいけないし、本人にゆっくり説明をして落ち着かせたいし、病院側に渡す書類もあったり、私がサインするべき書類もあると聞いていた。
それで介護タクシーが来るという時間より1時間弱早めに行ったのだが、通常の面会時間ではなかったので、30分前まで病院玄関から入れてもらえなかった。
はあ。
病棟に行くと看護師さんがもう着替えはさせてくれていてそれはありがたかったのだが、母はひどくおかんむりだった。
私が誰だかまったくわからず、退院するんだよと声をかけても、そんなの誰も教えてくれなかったから知らなかったと激怒している。
ベッド周りやクローゼットのものをまとめながら、なるべくゆっくりと、病気が治ったから前のところ(ここらへんがビミョ~である)に帰れること、それで私が迎えに来たことを繰り返し説明すると、少しばかり機嫌がおさまってきた。
それから一緒に介護タクシーに乗り、足の傷からばい菌が入って高熱が出て~、から始まって、入院になった理由を7回くらい繰り返した。
すると母は病院に3年いたと思い込んでいたと言った。
認知症の母と話をしていて、基本的に私は母の言うことを否定しない。入院中に私がもう数十年会ってもいない従兄弟が面会に来てくれたとか、病院は田舎で周りになにもないところだったとか、看護師が人間とは思えないほどひどい人ばかりだった等々に反論しても意味がない。
しかし本人の理解度が少し高そうな時には本当のことを言うことにしている。
「あの病院には3週間いたんだよ。足の傷が治るのに1週間かかって、そのあとに誤嚥肺炎が少しあって熱が下がらなくて~」
母は明らかに混乱していて、それでもタクシーの車窓から見える街の景色を喜んでいた。
ただ私が不安だったのは特別養護老人ホームに着いてからのことだった。
30秒、3分ごとに、母の脳内の思考回路はスイッチがくるくると入れ替わる。病院で荷物をまとめ、タクシーに乗り、というわずか1時間ちょっとの間に、母は怒ったり悲しんだり喜んだりを繰り返した。
最初は病院と看護師や医師の悪態をつき、その5分後には「あそこは良いところだった」と言い、その2分後には「あそこでは食事なんて何も出なかった」と怒った。
ついさっきお昼ご飯しっかり食べたばかりでしょうに。
そこを退院したというのはイメージされているのだが、それで「どこへ帰るのか」というのはどうもまったくわかっていないようで、妙に喜んで涙まで流していて、私は反対に不安でいっぱいになっていた。
茨城の実家に帰ると思っていた可能性も高いと考えたからだ。
特養に着いてタクシーから降ろされてからの母は、何かもう呆然としていて、基本的に何も変わっていない自室に案内されてからも「前に私はここにいたの?」と不安げだった。
「ここには私はどのくらいいたの?」
「2年ちょっとかな」
「そんなに・・・ごめんね」
そう言って今度は泣き出した。
完全に混乱を極めている。まいった。
特養の担当さん方がバイタルを取り、やはり微熱があってなんとも微妙ではあるけれど足の傷は実に見事に治っていてむくみもなく、ベッドの上で体位を変えながらの検査も非常に静かで痛がりもしないことに驚かれていた。
3週間の入院で、もっと弱っている母を覚悟しておられたのが、身体的にはまったく機能低下が見られないことにみなさん驚嘆されていた。
これはもう、また数日かけてここの生活に慣れてもらうしかない。
動揺されたくないので、1、2週間待ってから様子を電話で伺わせてもらい、落ち着いているようだったら面会に来るということで良いだろうかと伺ったところ、生活相談員さんはよくご理解くださった。
今回の騒動では私もまた沢山のことを学んだ。
ご存知の方には「そんなこと!?」なのだろうが、私は知らないことが多かった。
特養にいても、身体状況が悪くなると病院へ搬送され、入院が3ヶ月までなら部屋をキープしていただけること。
その間、部屋のベッドはショートステイなどで他の方が使うかもしれないこと。
たかだか水虫の傷から蜂窩織炎なる炎症を起こして発熱し、熱が理由で嘔吐しての誤嚥から肺炎を起こすなどということがあること。
せん妄で大声を出して暴れると鎮静剤を使わざるを得ず、さらに誤嚥しやすくなり、点滴栄養になってしまったりすること。
今回のことで、こんなふうに死んでしまったりすることもありえると考えて少し驚いたこと、特養ではいざとなったら看取りもしていただけると考えていたが、必ずしもそうではないことを学んだと特養の担当さん方には正直に伝えた。
すると彼らはなんとも不思議な表情になり、今回は適切な治療で回復する見込みがとても高いという判断から病院に搬送しての治療となったこと、確かにこれからすべての機能が低下して弱っていけば看取りという状況も来るであろうが、母はあまりにも元気で、認知症と言えどまだまだ喋れるし動けるしで「老衰はまだかなり先」と見ていることを説明された。
は。ははははは。そうか。
なんかそれって、喜ぶべきことなのか?な?
何卒よろしくお願いしますと繰り返すことしかできず、夕方帰宅したのだが、しみじみと私は疲れました。はい。
私の母は実にタフだった。