しろくまです。

 

一進一退を繰り返し、やっと施行された「LGBT理解増進法」

国や有識者、LGBTQ+の当事者による意見交換もあった上での結果がこれなのか。

 

 

※今回のブログは、私の勝手な意見です。

LGBTQ+の当事者に不快感を持たれる方は、お帰りください。

 

 

Twitterで#LGBT理解増進法と調べていると、検索結果のトップに出てきたのは、海外のプライドパレードの様子を切り取った動画だった。

 

参列者のあるグループは上裸までにとどまらず、読んで字の如く「裸」の状態でパレードに参列していた。

しかしそれはほんの一部で、他の参列者は普段着だったり衣装を身にまとっている。

 

 

「理解増進したい世界はこれだ」

 

その文字と一緒に投稿された動画には、

 

「賛成議員はこういう世界が好きなんでしょ?」

「吐きそうです」

「動物園にいれとけ」

「日本の子供にこれを理解しろと?」 

 

 

 

今までプライドパレードは何度も開催されてきた。

 

しかし、日本のプライドパレードを全裸で歩いている人間なんていない。

何故なら、それを規律する法律があり守っているから。

その法を犯すのならば、セクシャルに関係なく逮捕していただきたい。

 

 

もうそれは、セクシャルとフェチの違いくらい全く違うのものだ。

ある種の自己表現なのかもしれない。

そしてそれは海外では認められており、警察に届けも出されている合法的なものだ。

 

ゲイだから法律を破るわけでもない。

全てのゲイが脱ぎたいわけでもない。

 

 

 

その投稿には8000件以上のイイねが付き、LGBTQ+の人間を養護するコメントは私が見る限り皆無だった。

 

大きい括りでのエゴサのようなものは、こんなにも心をすり減らし抉っていくんだ。

こんなにも温度のない言葉たちは、簡単に人を壊せるんだろうな。

 

ネットには何故、こんなにも心無い言葉が沢山あるんだろう。

 

 

 

「全ての国民の安心に留意」

 

「LGBT理解増進法」に追記された言葉の意味は、

「国民のLGBTQ+への理解が遅れているから、LGBTQ+の人たちが何か不都合や面倒事を起こしたら叩き潰せますよね?」

 

という解釈は飛躍し過ぎだろうか。

 

 

これは一体誰の何のための法なのだろうか_

全ての国民とは一体誰に向けての言葉なのだろうか。

 

 

 

10代のLGBTQ+の自殺率はとても高い。

思想や価値観で戦争が起き、それは簡単に人を死に追いやることができる。

 

理解できない、不快と思う人たちがいることも仕方ないと思う。

しかし、未来のある若者により良い未来の方が何倍も大切ではないだろうか。

 

 

LGBT理解増進法によって、プライドパレードが全裸のLGBTQ+の人たちで溢れかえ、ジャンダーレストイレを目的外に使用する変質者が現れ、男同士女同士で手を繋ぐ気味の悪い光景が広がり、マジョリティは不快になるからそれ辞めよ?って言う認識で良いのかな?

 

 

G7の中で唯一差別禁止を定めた法律がなく、同性婚も認められていない日本。

そして断言するわけでもなく、そもそも増進法って何?

とりあえず世界から見たら遅れているから、形だけは繕っておこう的な?

 

 

 

私の望みは、思春期の子供みたいな憧れなのかもしれない。

 

 

好きな人に好きと言っても許されること。

自分らしくいても、誰にも気持ち悪がられないこと。

結婚式に祝って欲しい人達から祝ってもらえること。

好きな人といても、後ろ指さされることなく家庭を築けること。

子供を育てられること。

 

 

海外では出来ることもある。

でも、日本を離れられない理由もある。

 

 

でもそんな、望んだら当たり前に手に入る人たちを羨ましく思う事はある。

心からのおめでとうと、心の隅に残る色褪せた羨望。

 

 

 

僅かな希望として、期待して良いのかどうなのか。

今の私には正直わからない。

 

 

そっとしておいて欲しいという気持ちもある。

けれど、少しでも何かが変わらなければ、次の世代に自分らしくいられる世界はやってこない。

 

 

殺されないだけマシと考えるべきか、認められないだけだからと思うべきか_

私を理解してくれる世界だけで生きれば良いのか。

 

 

まだ投げ出したくないけれど、何をしたら良いのかわからないや。

 

 

 

 

 

 

おしまい。