こんばんは、しろくまです。

 

今日のお昼ごろに近くの道をお散歩していると、3歳くらいの男の子がよたよたしながら走っており、その後ろからお父さんが追いかけていた。

 

男の子のきゃっきゃと話す声が小気味好い。

今度は1人で走らないようにとお父さんが男の子の手を握っていて、その顔は笑っている。

 

 

今日の午前中にとある無料のセミナーを受講させていただいた.

 

受講中の冒頭で

「80歳の誕生日、誰にどこで祝われたいか」

という質問をいただいた。

 

私は正直頭が真っ白になった。

 

ゲイに限らずお子さんがいらっしゃらないご家庭の方もそうかもしれないのかな、など勝手に想像する。

 

私には姉たちの甥や姪たちがいて、関係は良好ではあるものの、誕生日をお互いに祝うほどの仲ではないし、私が80歳になった時に誰が誕生日を祝ってくれるのだろうかとふと考えた時、イメージが沸かなかった。

 

怖いとか淋しいとか、漠然とした感情はなんとなくはある。

ただ、80歳の自分をイメージするには私の想像力は力不足だ。

 

もし自分に子供がいて、その子たちがまた孫を産んで、大家族のような家庭を想像すると、毛布のように包まれた暖かさを感じたりする。

 

ただそれはきっと起こり得ない未来なので、現実的なところで考えてみる。

 

もしこの先、人生を共にするパートナーと出会えてその歳まで一緒にいたとして、どちらかが先に死んでしまったら、残された方はどうだろうか。

勿論パートナーが人生の全てではないし、ストレートのご夫婦でもそういう事態は起こり得るだろう。

 

人生100年時代と言われる現代に、きっとそういう未はたくさんあるのだろうな。

そして、目を背けていてもきっとその未来は私にも必ず訪れる。

 

今見えていることは頑張れるが、見えない先のことはどう手を付けて良いのか分からない。

 

 

散歩の帰りに、さっきの親子とまた会った。

走り回って疲れてしまったのか、男の子はお父さんにおんぶされて寝ていた。

男の子が被っていた帽子が、お父さんの歩幅に合わせ優しく揺れていた。

 

 

いつか来る未来を考えすぎても仕方がない。

 

自分の人生なのだけれど、自分だけの世界じゃない。

 

自分の人生の中に、誰かの人生が関わってくること。

それはきっと親子やパートナーだけではない。

そんなに大それたことでもない。

 

何となく関わっていくうちに、誰かの人生にお邪魔させていただく。

そして、少しだけ記憶に残ってくれたらそれは幸せなのかもしれないな。

 

 

 

明日はおじいちゃんの命日。

誕生日ではないけれど、会いに行くね。

 

 

 

おしまい。

 

 

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