こんばんは、しろくまです。
仕事を辞めて約半月が経ち、家に居ることが多くなり、
父と母と一緒に過ごすことが以前に増した。
「親にとって子供は何時まで経っても子供」
というようなことを聞くが、反対も然りで、
「子にとって親は何時まで経っても親」
なんだなぁと思うことが最近多くなってきた。
ありがたいことに、わたしの両親はまだ健在で、
あと数年もすれば、80歳になる。
アルツハイマーや認知症とはまた違って、
年相応の物忘れは、年々顕著になっているように思う。
日常生活ではそこまで支障はないものの、
父と母から、よく同じ質問をされる事が増えた。
例えばスマホの操作だったり、私が外出する予定などだ。
元々、私は人に教える仕事をしていた人間だったのに、
家族以外には同じことを何度も聞かれても、にこにこしながら教えられたのに、家族になると話が違ってくる。
そもそも何故家族になると違ってくるのだろうか?
何故、家族だと同じことを繰り返して聞かれるとイライラしてしまうのだろうか?
母は未だにアラフォーの息子が外出をする時に、詳細を聞きたがる。
5W3Hの穴埋め問題のような質問に、私はあまり良い気持ちがしない。
私のカミングアウトが不完全燃焼だった事も要因の一つで、
わたしの両親は、わたしのゲイは一過性のものだと思いこんでいる節があり、
そして、ゲイであることに対しては好意的でないことも知っている。
そのような理由から、仕事仲間でもなく、地元の友だちでもないゲイの友人との繋がりを説明するのに、わたしにとっては頭を抱えてしまう質問なのだ。
かと言って嘘は付きたくないので、何となく母の質問に話を逸してしまう。
何歳になっても母にとっては、私はまだまだ高校生の時と変わらないくらいの子供に見えているのだと思う。
そして、私もきっと、母と同じなのだと最近思うようになった。
私からしたら母は、ずっと母だ。
愚痴も言わず、ずっと家事をしている母。
勉強に困ったら、教えてくれる母。
夜中に帰ってきても、ご飯を作ってくれて待ってくれていた母。
喧嘩をしても、次の日には何事もなかったように振る舞ってくれた母。
東京で一人暮らしをしていた時、お金に困ったと思ったら、何も言わずお金をと野菜を送ってくれた母。
自分がゲイだと打ち明けたとき、私のせいだと泣いた母。
わたしは、母を尊敬している。
自分はきっと母のような人間にはなれない。
母にはいつでも私より賢くあって欲しいし、元気でいて欲しい。
その日が来るまで、良い人生だったと思って生きて欲しい。
わたしのありふれた願いを、老いた母に重ねてしまうのは酷というものだろう。
日に日に体が小さくなっていくことや、
日に日に髪の毛が少なくなっていくことや、
日に日に物覚えが悪くなっていくことや、
日に日に力が弱くなっていくこと…
受け入れられず、怯えて拒絶しての怒りは、誰に向けるべきものでもない。
怒りではなく、愛でるできもののはずなのに。
小学校の頃、遠足が何かで、友だちとお弁当交換するだろうからと、
いつもより多めにお弁当を作ってくれた母。
高学年になるまで、わたしには殆ど友だちがいなかった。
その事を母に言えず、友だちと楽しくご飯を食べているだろうと思って
作ってくれたご飯を、わたしは一人で食べきった。
一生懸命お弁当を作ってくれた母が悲しませたくなった。
家に帰って、「みんなと楽しく交換して食べたよ!ありがとう!」
と言えた自分はどこに行ってしまったんだろう。
家族や友だち、仕事仲間、恋人、色んな関係性の人たちと関わっていくけれど、きっと最期を看取れることが出来るのは、親と恋人だけなのかもしれない。(恋人は、夫婦、パートナーの意味合いとして)
もちろんそうじゃないパターンも沢山あるだろうけれど。
それだけ、今までもこれからも長く付き合っていく関係なのだから、
時代や、年齢、病気、痴呆、介護……思い出。
変わるものもあれば、変わらないものもある。
きっと誰かが死んでしまう時、もっとああ出来た、こう出来たと
満足はいかないのかもしれない。
自分のちっぽけな理想を押し付けて何も出来なかったなんて、
そんな事は後悔でしかないのにね…
母へ。
いつもありがとうございます。
孫は見せてあげられないけれど、できるだけ残りの人生をより良く送ってもらえるよう頑張ります。
お体には気をつけて。
これからも末永く宜しくお願い申し上げます。