早くも10月。
この夏の暑さのためか更年期のためか
身体が怠くて
日々、何もしていないような
と言いつつ案外
やるべき最低限のことは、こなせているような
そして意外と
新しい事にもちょいちょい手を出している
充分に活動しているではないか!とも思えるような
そんな毎日を過ごしている。
そんな最近の、気づきを2つ。
(前から知っていた気もするけど、確信したこと)
一つ目。
『望み』というのは、
叶った直後しばらくは、とても嬉しいが
しばらく経つと
『それが当たり前』の世界に移行する。
当たり前になると、、、飽きる。
物足りなくなり、
次の世界を欲し始める。
あんなにも望んだものが手に入ったのに
嬉しく感じなくなってしまった自分に
落胆する。
今では当たり前になった「この程度のもの」
これを手に入れることを
大きな望みと思っていた過去の自分の感覚は
もはや思い出せない。
それはつまり、
バージョンアップしたという事。
ステージアップ完了したという事。
すでに次のバージョンへ次のステージへ
向かい始めているという事。
喜ばしいこと。
で、もう飽きているのに
せっかく手に入れた『いま持っているもの』
から離れるのには抵抗を感じる。
もったいない。こわい。
それが人ってもの(それが私ってもの)
次へ行きたい
と同時に
ここに居つづけたい
、、、、はムリなのだ。![]()
植物の姿を思ってみる。
伸びる。開く。成長する。変化していく。
そうでない植物は、存在しない。
自然な姿、
自然な在り方でいられるときに
心地よいと感じる。
心地よいから、進むべきは
そっち👉✨🧭と分かる。
変化を求めず
現状維持しつづけようとすると
不自然な在り方だから
“しんどい”のだ。
嬉しかった大切と思ってきた ものごとを
その後ずっと、以前の嬉しさのままで、
保存しようとしなくて良い。
飽きていい。
退屈になっていい。
それが自然な感覚。
ステージが変わった(上がった)ことに
気づかせてくれる感覚。
そろそろ次へ、
と知らせてくれるための感覚。
長くなったので
もうひとつの気付きは、また今度。

