あるところに

自信がない男の子がいた。



生まれつき、

人の気持ちを察することが出来ない性質だったから

人間社会で

うまくいかない事が多かった。


勉強はごく普通にできたので

そんな性質については誰も気に留めなかった。

そういう時代だった。




大人になり、縁あってお見合いをして

結婚した。


自信の無さは変わらずだったけれど

味方が(妻が)できた。嬉しかった。


妻は明るく優しく素直な女性だった。

世間的に正解とされる良き妻像に疑いなんて持たない、素直な女性だった。


妻は自分に、全面的に合わせてくれた。

自分を一家の主人として立ててくれた。

嬉しかった。


子が生まれた。

子は自分より弱い存在だったから

父である自分は、自然に

子の“上に立つ”ことになった。

人生で初めてのことで、嬉しかった。


が、子の成長とともに、様々な場面で

子の“上に立つ”が叶わなくなってきた。

反抗され、苛立った。


仕事などでのストレスもあった。

子を養うことへの重圧もあった。


それらの不安・苛立ち・不満は

すべて家庭で発散した。


他の方法は持っていなかった。

他の居場所を持っていなかった。


家で、妻と子の前でだけは

大声で威張ることができ

その瞬間は

自信のある強い男の気分を味わえた。


本心では思っていないような言葉が

気の大きい男になったかのような言葉が


勢いで、口から次々と溢れた。


「自分の言動によって

周りの人がどんな気持ちになるか」なんて

分からなかった。

分からないのが当たり前だと思っていた。

その男は生まれつき、そういう性質だったから。


素直な妻は、夫の言葉を

すべてまっすぐ受け取った。

言葉そのものを、そのままの意味で理解した。


傷つくことも多かったが、我慢した。

それが正しい妻の姿と信じていたから

子にも、お父さんの方針に合わせるように

と言い聞かせて育てた。

それが正しい子育てと信じていた。


夫のことも

子のことも

考えながら

家庭を運営し

子を育てていくことに

必死だった。




男は、ただ

苦手なものは苦手なままに

強がりたい時は強いフリをして

“自分らしく”生きたのだった。



男の妻は、明るく素直に一生懸命

“自分らしく”生きたのだった。











わたしの実家と

夫の実家


起こっていたことが

見事に重なる。




義実家で起きていたことや

いま起きていること

(父の認知症・介護する母のストレス)

は、自分の実家を見るときよりも

客観的に見ることができる。




父が悪者で

母が被害者


子がいちばんの被害者


って見てきたけど


どちらも

そのまま存在しただけ


どちらも

誰しも


良かれと思って

自分らしい選択をして

生きている



この似通った2つの家庭

その歴史を感じて



今わたしの中にある

と、はっきり感じるのは


「言葉をそのまま受け取らない力」



言葉を

そのまま受け取ることなく

その奥を見る

その周辺を見る



あたりまえに習慣的にそうしていて

もはや

それをしない受け取り方が分からない真顔



何かの言葉を受け取るのとほぼ同時に


そう言うってことは、

つまり「〜〜〜」ってことね


と、言葉の奥を想ってしまう。




この力は何に使うもの?

世の中の何かに、役立つもの?