(前記事のつづき)


知りたかったこと(でも知りたがっていると自覚していなかった)の答えが

急に目の前に、言葉で現れた。



私は


自分がシンプルでありたい

ものごとをシンプルにしておきたい

余計なものを取り除いて見通しよくしておきたい


という感覚が強いので

できる限り、そうして生きているけど


なぜそうしたいのか

理由は自分でも分からなかった。



その答えが

たまたま読んだメルマガに書かれていた。





世間で価値がある(贅沢)とされるモノゴトに

なぜ、わたしは価値を見出せないのか

なぜ、わたしは皆と同じことを楽しんだり

皆で盛り上がったりできないのか

そういうことへの憧れ・楽しめないことへの劣等感



その理由を言語化はできていなくて

『ただ感覚的にそうだから』

という理由で選んできたことに


このメルマガで

答えあわせをできたような嬉しさを感じた。


それで良かったんだ、

自分の正解を確信した、みたいな。




胸が軽くなる✨

視界が開ける✨


わたしは

本当の豊かさに向かって歩めているし

本当の贅沢を知っているらしい✨


自分に対しての謎解きが、また1つ進んだ。





自分にどこがどう響いたかを書くよりも

そのまま載せておきたい。



(有)テンプルビューティフルのメルマガで

ドミニック・ローホーさんの本

の言葉を紹介されていた部分のコピーです



↓↓↓



シンプルに生きることは、

物質的な快適さを捨てることを意味するものではありません。


より身軽に、より深くそして豊かに、

贅沢に生きることを言うのです。


本当の意味の贅沢とは、一般的な幻想とはかなりかけ離れたものです。


それはゆっくりと時間を取る、無駄をしない、品質に妥協をしない、自分の個性を尊重し、自分に敬意を払うことです。


そして何よりも自分にストレスを与え得る行為をはっきりと断れる自由、

または自分にとって邪魔、嵩張る持ち物すべてを捨てることができる自由です。


モノは多く所有すればするほど、人を脆くします。

人は精神的に成長すると、モノ、そして人さえも必要としなくなっていきます。

物質的なモノを断つことは、ほかのあらゆる分野においても気持ちを切り離すことを可能にしてくれます。人間関係においても同じです。

また、ある人間関係が終わりに来ていると感じた場合にも、在るがまま、成せるがままに終息させましょう。その人間関係が自分にもたらしてくれた良きものすべてに感謝し、次のステージに移るのです。


常に「現在」の只中に留まるようにするのです。

今後何をするべきか、という心配もするべきではありません。

自分が今居る場所が、常に次に向かうべき方向を示してくれるからです。

モノを捨てれば捨てるほど、自分にとって不必要なモノが認識できるようになってきます。

まずは物質面から始め、徐々に他の分野にも進めていきます。活動、おしゃべり、人間関係という具合に…。