記憶(思い出)は宝物
と言われるわけが
今迄よりも深いところで分かった気がする。
ただ懐かしがるため、ではない。
…
私が幼児だった頃の記憶。
夜中に、怖い夢をみたと言って半泣きで
子ども部屋の二段ベッドから抜け出し
和室の、母の布団のところへ行くと
ぎゅーしてあげるからここに来なさい、と言われ
母の布団に入れてもらって
そのまま朝まで寝る、、、
ということが何度かあった。
布団に入れてもらって母に抱きしめてもらうときの
『あーよかった。もう大丈夫。ホッ。』という
あたたかな安心の記憶。
この、はっきりした感情・感覚を伴う記憶は
その後、驚くほど長い間
私のことを支えてくれた。
大人になり
自分が出産して母になる頃まで
何度も思い出す度に
『ホッっとする安心感』を味わった。
心が弱ってるときは無意識に
その記憶を取り出しに行った。
必死に生きてた10代20代頃の私を
根っこのところで支えていたのは
この感覚、この記憶だったと思う。
今日、この意味が、
今までより深いところで分かったよ。
安心感を引き出せる記憶
🤱✨
まるで胎児のときのような
包まれるような絶対的な、普遍的な、安心💖
そういう感情を
呼び起こせる記憶だったんだな…と。
感情の宝石箱に大切にしまい、
何度も見に行って、開けて、取り出しては
嬉しくニコニコして眺めた。
その感覚に、助けてもらっていた。
その安心を思い出せれば
その後に起こる事柄は
同じように安心を感じるもの✨になる。
昔の私も
そのことを、ちゃんと知っていたんだ。
望む現実を創りだすには
その望みが叶った状態と似た感情になることが
必須。
絶対的な安心感💖なんて
何をするにしても
いつもベースにあってほしいもの。
…
事柄や感情は
いろいろ違っても、
感情は、たいてい(必ず?)
記憶とセットになっている。
望みを叶えるには
取り出せる記憶と感情が、必要なのだ。
記憶のことを
どこか侮っていた私。
侮ってるといいつつ、
思い出は大切で何度も振り返っている私。
意味が分かって、嬉しい。