言語化しなくてもいい気がしていて
ブログもあまり書かずにいたら
言語化力が落ちてきた不安
使わない力は退化するよね。


書き留めておきたいことがあるので
まとまらなさに若干イヤになりつつも
書いておく。





何がどうなっていたのかを知りたい気持ち
が今も時々、湧いて出る。

愚痴を書きたいのではないし
悪態つきたいのでもない。
もう今さら何も変わらない。
かと思いきや案外、今でも少しずつ
理解が進んでいくのを感じているから
そのことを、書く。




子どもの頃に見ていた、父親のこと。


なぜ、あの人はああいう言動をしつづけたのか。
なぜ、私たちはそれを浴びつづけたのか。



なぜ?の答えは簡単に言えば
『私の人生に必要だったから』なのだけど。


現在84歳の父。歳をとるにつれ、
元々のかたち🧩 が分かりやすくなっていて。


最近はっきりと感じるのは
絶望的に会話のセンスが無い!
ということ。

それから、本当の本当に!!
他者の気持ちを察する機能を持っていない
ということ。


本人は、話題を提供してるつもり なのだと思うが
聞く人を、困惑・辟易させるネガティヴ話ばかりする。
最近は、訪問介護で来てくれる若い人から
やんわり注意されている。
ネガティヴな話は身体にも悪いからね。



父は、あれでも
「話題を提供しているつもり」と
私が理解できるようになったのは、ごく最近だ。



あー、そうか。
あれでも、良心 からやっているのだ
と分かり、何かが微かに解けてきた。




むかし、父から私たち子どもに対しての
ちょっとした声掛けが
いちいち神経を逆撫でするような言葉ばかりだった。

こんなに連続して日常的に
嫌なことばかり言ってくる父は
私を含め、子ども達のことが嫌いなのだろう。

なぜかは分からないけど
私たちのことが嫌いで憎くて
嫌がらせをせずにいられないのだ。

と、無意識のうちにそう思っていた。

それは子ども心には
自分で思うよりずっと、しんどかったのだ。



子どもの頃の表現で言うなら
「なぜ、私のお父さんは、こんなにも性格がわるいの?」
これをいつも心で呟いていた。


今は分かる、
父から嫌がらせをされつづけるのは
なぜ?の答え

⬇︎

『相手が嫌がっていると気づいていないから』
『そういうことに気づく機能を搭載してきていないから』




父は、他者の気持ちを推測することができない。

多くの人にはそういう機能が備わっている
ということ自体を、父は知らないのだと
最近わかってきた。


雑談のなかでそういう話が出ると
『そんな事(人の気持ち)が分かるわけないだろうが。おまえバカじゃないのか』
という調子。

なんでわかるのかって…普通分かるよね?と説明しても、
父には分からないので不機嫌そうに顔をゆがめ、首を傾げ、そして

その話題を聞かなかったことにする。



その説明をしようとした私は、悪者だ。
なぜなら父の機嫌をわるくしたから。

家族と自分の、心の平安を守るには
父の機嫌を損ねないこと。

だから父が理解できないことを考えたり
話題にしてはいけない。
それが、当たり前の家庭だった。




あれから40年とか経ったけど
懲りない私は、今だに
気が向くと、父への説明を試みる。


あれこれ世話してくれてる母に対して
要求通りじゃないとか
よく聞こえないからといって怒鳴る父に、
「齢をとっているのはお父さんだけではない、
お母さんも歳をとっているんだよ、
昔のようには行かないのが当たり前だよ」
「お母さんにも感情があるんだよ、お母さんの気持ちを考えて」
と諭す。


まぁ理解はされないけどね。
または図星すぎるからか?不機嫌になると父は
その場を立ち去り
その会話は無かったことになり、終了する。

相変わらずなのだが
わたしは自分の中に、進化も感じている。

目の前で
眉間に皺をよせ、顔を歪め、みるみる不機嫌になる父親
を見ているのに
昔のように、絶望的な恐怖と落胆に巻き込まれなくなった。
ま、ちょっとした憎悪は沸いちゃうけども。


総じて、あの恐怖を克服しつつある
自分のことを、褒めてやりたい気持ち
なのであるニコニコ






父にはそういう特徴がある、
そういうカタチの人なのだ、
と子どもの時から理解していたかった
と思う。



理解できていたら
あの苦しさは
あの生きづらさは
生まれなかったと思う。







いま、夫とムスメのあいだに
それと似た気配を感じるとき、
わたしは
いちいち伝えずにはいられない。


それは、
まずはムスメに不要な傷をつけないため なんだけど
夫を丸ごと受け入れることにもなっていると思うし
私自身のためにやっていることでもある。


あの頃
私がしてほしかったことを、している。


基本的にムスメと夫は、仲は良い。
パパの良いところを
ムスメも、ちゃんと分かってると思う。

最近は、夫とムスメは毎晩、競うように腹筋20回して
腹筋したらアイス食べても良い
という謎ルールを2人で作って、楽しそうである。
(私にまで腹筋20回を求めるのはやめてほしい…)




たまにパパの言動が腑に落ちないと、
パパvsムスメの会話なのに
ムスメは私に視線を向けてくる。
(通訳・またはフォローを求めて爆笑


わたしが
その視線に答える必要性が分かるのは
子どもの頃の経験があるから。


経験を活かせているのは、幸せ
かもしれない。





あるものをある、と言うと
それを無かったこととして扱われる。

そのことに「???」が絶えなくて
しんどかった。



見えないもの
見えないこと
を確かに在るもの✨として扱える今は

楽で
生きやすくて
幸せだ。


この幸せを味わえるのは
子ども時代の不自由、納得できない感覚
があったからだ。






読みにくいのに泣き笑い
読んでくれてありがとう。