将来よりも今を見る
将来の幸せを目指すより
今しあわせになる
そういうふうな基準に
切り替えていく
切り替えないとよく分からなくなる
目的地を見失う
それが自分自身のことなのか
子どものことなのか、で
選択が変わってくるのは何故?
心配とか責任などが入ってくるからか?
子どもが
いま、痛いとか苦しいとかの症状があるなら
いま、それを和らげたい
それは見てる自分が苦しいから?
それもまた、逃げ?
もしかしたら将来的には
健康な状態から離れること
(自然な状態から離れること)
になるとしても
他に選択肢はないでしょ
今だけを見ることにしたら
自然な状態って何だろう
植物で言うなら
種から芽が出て成長して花が咲いて
でも途中で何らかの病気になって
葉が変色したり
場合によっては枯れてしまったり
それでも化学肥料とか薬剤とか使わずに
自然に育てるのが、植物のため?
それは地球のためかな
その植物が何を望んでるか分かれば
そうしてあげる
薬剤を使ってでも美しく花開いて
花として生まれた満足を味わいたいなら
それを叶えてあげたいし
薬剤無しで、どこまでやれるか
挑戦したくて生まれてきたなら
そうさせてあげる
すべては
どの視点で見るかで全く違ってくる
いろいろ揺れて分からなくなって
でもまぁ
その都度、視点を選んでやっていく
そのときの自分に聞くしかない
そのときの自分に湧くものが、すべて
今の私は、
いま子供がやりたい事
を、叶えてあげたいと思う
先回りして心配して
少し先の健康(安全)のために
いまやりたいことを諦めなさい
とは言いたくない
心配なんてものは
私自身のためにしてるだけ
実は相手のためじゃないのだ
いつも
無難なほう
安全なほう
を選んで
それが正解だとインプットされてきて
今もそれは根強い
親の責任ってなんだろう
子の安全を守ること?
子を幸せにすること?
いや、
(心配という名のもとに)
子から沢山の幸せを経験する機会を
奪わないことだ
安全
無難なこと
難が無いこと
それは生きる目的じゃない
生きる目的は
経験
のはず
人生が何年あるかなんて
誰にも分からなくて
長いかもしれないけど短いかもしれなくて
短いかもしれないのだから
やりたい事は今どんどんやって行くほうが良い
あるかないか分からない少し先のために
今したい経験の機会を逃さない
子どもには
子どもの意志がある