私も 自分に
よかったね、と言うのだ
卒業していくときには
必ず
と、ひとつ前の記事に書いたら
少し違和感が湧いた。
なぜなら、今も自分に対して充分に
『よかったね』と思っているから。
今この暮らしをしていて
幸せ、ありがたい、と思っている私が
まちがいなく、いる。
なのに、これで満足しちゃダメなのでは?
もっとやりたいことがあるのでは?
もっと求めなきゃ置いていかれるのでは?
…という何処から来るのか分からない焦りに
ソワソワしている。
この焦りは、本当に、私のもの?
単なる集合意識みたいなものじゃないの?
「隣と同じようにしなくては」の洗脳が残ってるだけでは?
だって、満たされているよね。
今ある幸せに満足していることに
何か問題ある?
隣の誰かとは違うほうへ向いて
世の中の【良】とは少し違っても
それを欲しいと思い、手に入れてきたから
今の私の満足がある。
ここへ来て今更
周りに合わせにいって どーする。
いま満たされているから
満たされた未来を創造していけるのだよ。
…
思い出そう。