1ヶ月くらい前に視界に入ってきて
すごく納得した事がある。
そういうことか…とスッキリした。
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ひとの進化の過程。
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外から見るぶんには、昔から ずっと
今も大きくは変わらないようだけど
自我が目覚めていない状態
というのが長くあった(らしい)
自分とは?なんて考えたこともない状態。
自分と自分以外ということを意識していない状態。
その状態であれば
たとえば、自分に自由が無いとしても
『そういうものだと思っている』から
そのことに疑問や苦痛をさほど感じていない
(少なくとも今の私よりは感じていない)
で、
同じ現代を生きていても
国によって、地域によって、または人によって
目覚めの、進化の度合いは異なる。
ニュースなどで知る外国 例えば北◯◯で行われている非人道的な諸々。そういうものに日常的に触れなければならない国民は一体どうやって耐えているの…?と心配と疑問と憤りとが混ざった感覚になる。
または大河ドラマなどで見る、昔(例えば戦国時代)の出来事。家のために死ぬとか殺すとか当たり前の時代、生死について、人に感情など無いかのよう扱いだったり。皆どうやって精神を保っていたの?と不思議に感じる。
そういう、
漠然と気になっていたことの答えとして
いま私が思うほどには
『自我が目覚めていない』状態
だから、大丈夫だった
だから、大丈夫なのだ…と。
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現代でも、日本でも、例えば仕事であれば
「我を押しとおす」なんてしなくて
上に従う、組織に従う、のは自然なことで
よっぽどの理不尽な事じゃない限り、そのことに
いちいち苦しみを感じたりはしないと思う。
なぜなら
『そういうものだから』
『そういうものだと思っているから』
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『そういうものだと思っている』の中身が違う。
進化って、その中身が変わること、かな。
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今日の根本さりさんのブログに

