何かにつけて

エネルギーが足りない私。



それは

源に繋がれていないということなのだろう

(繋がってたらエネルギーは無限らしい)

瞑想あんまりしてないからな…



いま方向が違うのであって

方向が噛み合えば

充分なエネルギー供給が始まるのか?🔌💫





専業主婦をしている私が

たまに社会人らしきこと(週5勤務)なんかすると

分かりやすく、家が荒む 真顔


あたりまえに仕事を続けつつ

家のこともこなしている人は、素晴らしいと思う。



去年もそうだったけど、今年も

勤務期間の半分が終わった今くらいに


疲れが溜まり始めて

家のホコリも溜まり始めて

このタイミングで花粉症も悪化して🤧


諸々、ボロボロ泣き笑い




でも今朝はアーセニカムを摂ったら

だいぶ症状が落ち着いた!

去年はこの時期アリウムサパがよく効いたけど

同じ鼻症状でも去年と微妙に違う気がしたのと、

温かい飲み物を欲するならアーセニカム、と書いてあったから。

レメディが症状にピタリとハマると嬉しい。




たまに社会を覗きにいくと

しみじみ感じるのだけど、気づけば私は

【標準的な】【理想的な】生き方から

思った以上に外れてしまったなーと。


勤労は社会人の義務、

って言葉を最近どこかで見かけて

あーそんな言葉久しぶりに思い出したな…と

異星人になったような気分👽


まったく義務、はたしてないわ。

大丈夫なのか、自分。


どこで間違えたのかな〜と思いそうにもなるが

そこに行きたいと思えなかったからココに居るわけで

自分の正解はこっちなのだ。


私にとっては

そこに居つづけること=我慢 だったので


例えば いまの職場で

何十年続けてこられたのであろう同年代の方々を見ると

このひとは我慢できたひとなんだなぁ…

という目で見てしまう。

(そうじゃないだろ、と頭では分かってる)







気を取り直して


自分がしてきた選択を

ここからの行動によって

自分の正解にしてあげよう。






言うまでもなく、

夫の頑張りで成り立っているいまの暮らし。

とくに裕福なわけではないが困ることもない。



最近、夫が定年後について考え始めた。

ローンの終わりが見えてきて

あとはどこでどれだけ準備をすれば

何歳で退職しても良いのか、の試算を始めた。


いろんな意味で【大丈夫な信頼】があり

私は「好きな年齢で辞めればいいんじゃない?」

と言っているのだが


そういうのとは別の意味で、ふと思った。


例えば10年後くらいに夫が退職するとして

家に毎日いるとなったら

そのとき、私は毎日家にいたいだろうか。


いや、その頃には

何かしら外に出るライフワークがある方が良いわ。


私が家にいるのが好きなのは

ひとり静かに過ごせるからで ひらめき


(家族で過ごすのは夜と休日で充分)

(このバランスは結構、大切)


毎日朝からTVが付けっぱなしになる?

と思ったら、それはキツい。夫はTV大好き。



人生100年時代と言われても

私はそんなにやりたいこと無いよなぁ

と消極的に思ってたけど


10年後にどんな毎日を過ごしたいか?を思って

いま出来ることをやるのは良いかもしれない。




自由に思い描いていいのだ

そうすればその通りになるのだから


と、この世の仕組みを頭では理解しても

【自由なイメージ】こそ、難しく感じる私には

こういう消去法的なのが合っているかも。