先日グチった兄の話、の続き。
今日はグチじゃないよ、たぶん。
…
このあいだ珍しく外で待ち合わせて会ったとき
相変わらず この人はオシャレなんだなぁと思った。
黙っていればおしゃれでカッコいいオジさんに見える。
兄は、たしか高校を卒業した頃から
服にお金をかけ始めて
節約=正義、な両親から攻撃されまくっていた。
というか何をやっても親から攻撃されていた。
親が否定するに決まってるような言動ばかりしていたとも言えるし
わざと【親が絶対やらない(できない)ようなこと】をやっていた、とも思う。
やたら お酒を飲むのも、その一つな気がする。
(父は全く飲めない)
…
で、本題。
いま何となく蘇ってきた、古い感覚がある。
それは、兄に憧れていた気持ち。
兄を追いかけて真似すれば良いのだと
信じ込んでいた気持ち。
後に、兄(元を辿れば父母)を真似した生き方は
現実創造の意味では間違いだらけだったと気付いたけど
その話は、ここでは横に置いておく。
今、
子ども時代のワタシをちゃんと受け入れてあげる いい機会かもしれない。
両親や弟への思いを癒やすのに一生懸命で
兄との関係については 放置してた。
兄からのネガティヴエネルギー(父への悪態祭り)
に巻き込まれないようにすることで精一杯で
ただただ距離を取ることに徹してきた。
その辺りのことも
昇華できる時期が来ているというお知らせとして
先日のようなモヤモヤが現れたのかもしれない。
…
私が物心ついた頃には、兄は既に
とにかく意地悪かった。
口癖のようにブスだのバカだの言われ、
私も応戦し、罵り合うのが日常だった。
父も似たようなものだったから、男とはそういう生き物なのだと子供の私は思っていた。
弟だけが優しいのは、弟のほうが特殊なのだと思ってた。
兄のそれは
【人に優しくなんてするわけがない】父親に倣ったのだろうし
親がそうなら、そうなるのが自然と思う。
そんなわけで、
兄が私に優しかった記憶は、一つもない。
写真を見ると、私が赤ちゃんの頃には優しげな兄として写っているけどね。その頃の記憶は無い。
私も大人しく負けている妹ではなく
とにかく激しく兄妹喧嘩ばかりしていたし
大人になってからも、兄は
『家族に優しくしたら負け』とでも言いたげに
とくに私には酷いものだった。
父からの攻撃(虐待)を受け続けていたから
だれか自分より弱い立場の攻撃対象が必要だったのだろうと、今は思う。
(弟は素直すぎて可愛かったから、攻撃しづらかったのかな)
私に対して、お前なんぞ全く視界にも入れてませんアピールを、あからさまにされていた。(兄は兄で、父からそういうものを感じて生きていたのだろう)
それは私の家族の日常で、
それがストレスとは意識していなかった。
ただ、常に、兄に対して腹を立てていた。
兄が結婚するまで、それは続いた。
義姉の登場により、兄はようやく家族の前で
まともな人間らしさを少し見せるようになった。
義姉が兄の人生の救世主なのは間違いない。
夫婦として兄の近くにいてくれるという意味でも、
【娘婿である兄をとても可愛がってくれる義父との出会い】という意味でも。
兄の義父の人物像が
私達の父親とは見事に真反対であることも
兄を幸せにしてくれたのだと思う。
いつも嬉しそうに義両親の話をする。
奥さん(義姉)のことも自慢げに話す。
そういうのを聞くたびに私は
良かった…と安堵の気持ちになる。
これは、兄の暮らしが幸せであれば
私が変に絡まれなくて済むからなのか、、
どういう感情なのかよく分からない。
…
兄は、子どもの頃から
常に身体中に無数の針🪡🪡🪡を備え
周りを攻撃しつづけていたけど🦔
いまなら、あの少年(幼い頃の兄)の
傷ついた心が分かる。
なぜ僕は父からこんなにも否定されるの?
という悲しみと戦っていたと思う。
(それは今も終わっていないようにも見える)
私が3〜4歳の頃、しょっちゅう見ていた夢が
幾つかある。
そのうちの一つが、
兄が、電車の線路でレールの隙間みたいな所に落ちて、暗い緑色の光の中で苦しそうに泣いている、という怖い夢。(当時、幼心に、歩いて渡る踏切が怖くて)
なぜ同じ夢ばかり見るのか、
当時のワタシには分からなかったけど
いま思えば
身近にいた兄(まだ幼くて可愛かったはず)の心を無意識に感じ取っていたのだろう。
そして同時に、
この世界はそういうところ、と学んでいった幼いワタシ。
自分の視界が曇っていく夢を、しょっちゅう見ていた(灰色の雲が続々と湧いて、前が見えなくなっていく夢)
なんでいつもこういう夢みるの?と母に聞いた覚えがある。
話が逸れまくっているけど
とにかく
子ども時代のわたしは、
どんなにひどい扱いをされても
自分の一歩先を行く兄に憧れ
大人になってからは
ちょっとオシャレにも見える兄のことを
人として言動に難ありなのに
どこか自慢に思っていた。
TVドラマなどで、ある有名俳優を見ては
ふと兄と重ねる癖が、あります。
あり得なすぎて誰にも一度も話したことはない。
似てはいないけどイメージの何かが重なるんだよ。
一度も言ったことはないけど
そんなの無かったことにしてきたけど
実は
優しくされたかった私、
実は
兄を自慢に思っていた私、
が、たしかに居た。
そんな昔の私の存在を優しく受け入れよう。
頭では
「あんなどうしようもない兄に?あり得ん!」
と思うけど
こういうのが湧くのは、頭じゃないんだよね。
…
いま、その願いは
何気なく叶えられている気がする。
弟がいなくなって
私が、ここ4.5年で変わったように
兄も(あれでも)いろいろ変わった。
今の兄は
私に、というよりは私の娘や夫に
いろいろ良くしようとしてくれる。
いつもどこかズレていて、全くスマートではないけど。
直接、私に優しくするのはプライドで出来ないのだろう。
ムスメのことを
なぜ、どう育てたら、あんなに良い子に育つのか?と言ってきたりして、まぁ嬉しいけど
ちょっと引く
(叔父バカ?)
【なぜ】の部分の答えは
私なりに思うことは沢山あり
子ども時代の経験から来る考えを
自分の子育てに活かしてる所も大きいので
兄妹なら共有できるかも?と思って答えてみたけど
兄に伝わりはしなかった。
話が父への悪態話へと擦り変わったので、早々に終了させた
立場が違えば、感じることは違って当たり前。
男だから。
長男(第一子)だったから。
自分には子どもはいないから。
などなどの違いで、
親に対して感じているものも私とは違う。
子ども時代〜弟のことまでを
一緒に戦った戦友のようで
分かり合えるか?と言ったら、全く分かり合えない。
私が家族へ想うことは
だれかと共有できるものではない。
こうして呟く場所があるから、それで良い。
…
兄の話を書くことは無いと思ってた。
大して重要じゃないとも思ってた。
でも、書けたということは変化だ。
ここに書けたら、少し癒える(←私の場合)
意地の悪い兄のことは、とても嫌いだった
と同時に
幸せになればいいと思っていたし
いま幸せを手に入れてること、
本当に良かった、と思う。
義姉(兄の奥さん)についても色々なことがあり
それこそ、書くことはない(書ける気がしない)
と思っているけど
それも、いつか書くのかもしれない。
書けるときは癒やしの準備が整ったとき、なのだろう。
