すべて自分が信じているとおりになっている。


強く信じているというよりは

さらっと信じていること

が現実となっていく、と感じる。




雨予報だったので

降る気満々で?朝から大きな傘を持って出かけた日。

折りたたみ傘は面倒で好きじゃなくて。


でも天気予報に反して、降らなくて

夕方の帰りみち、傘いらなかったね…と思いつつ

別に困ることもなく

最寄駅で電車を降り のんびり歩き始めたら


晴れているのに、サーっと雨が振り始めた

(お天気雨)


…傘、使えたわ♪ひらめき(微妙に嬉しい)


折りたたみ傘と違って

カバンを がそごそすることなく、

サッと差せる気持ちよさ☂️✨





今の職場

諸事情により思わぬ流れで

理想どおりすぎる環境に行き着いて 

心地よく働かせてもらい中。


応募時の選択肢には無かったから

望んでたかどうか定かではないけど

ただ「気持ちよく働く」と意図してた。


なぜか途中から

こっちの仕事をやってね、と割り振られたのが

(私にとっては)良いところ取りな席。


感じの良い人に囲まれ、程よく人と関われる。

割と好きな作業に、マイペースに黙々と取り組める。


何?ここ?飛び出すハート 理想どおりすぎて驚く。


静かで落ち着いていて雰囲気の良い職場

(たぶん職員の顔ぶれによる)(数年ごとに転勤が普通らしいから今の人達が良い、のかな)

とにかく今の私にとって、大当たりと思える顔ぶれ。

時間あるときに職員の方の話を聞くのが楽しい。

公務員の知人がいないので、聞く話が全て新鮮。


数十年前の自分の就職時には

そこを目指す選択肢は思い浮かばなかったけど

思わず我が子の将来の選択肢としてススメたくなっている。ひらめき





いま、心地良い、楽しい と思っている。

それが全て。



短期の仕事で

去年の この時期も ここで働いていたので

去年と比べると

自分が感じていることの違いが分かりやすい。


=去年の自分と、今の自分の違い

=去年と今年で、見えている現実の違い



すべては

自分の意図次第、自分の内側次第、

ってことを細かく細かく 体感している。



細かいことの連なった先に

未来がある。



仕事をしていれば

イライラしてる人がいて当たり前

ピリピリした雰囲気があって当たり前

触れたくないエネルギーが目の前にあるのが当たり前


という次元を生きていた頃と比べ

今があまりにも快適で、驚いて


わたしが篭っているあいだに

時代が変わったのか?浦島太郎なのか?🐢

とも思ったけど


今年は

あー

わたしの持つ前提が変わったんだ

わたしのなかの意識が変わったんだ

と気付いた。



だから目の前の現実も

(あたりまえに)変わった。





家にいるのも好きだけど

たまには外の世界に触れるの、良いな。

以前の自分と比べて変化を確認できる。

変化した自分を褒めたくなる。


変化⬇︎

いちいち一人反省会しなくなったから

とても楽。

どう思われてるか?ほぼ気にならず

自分はこの自分をどう思うか?だけを意識。


今どう ふるまいたい?私はどう在りたい?

を自分に聞くだけ。


いま、心地良い

いま、幸せ

だから、この先にも

そういう視界、そういう現実が創られていく。



『自分が生きる世界を自分で創る🌍』ということは

何か大きなことをやって見せることではない。


自分が生きる世界は

他者に見せるために創るのではない。



自分にとっての【良いこと】を知り、

自分用の嬉しさ✨を

自分に次々に感じさせてあげる。



そうしていることが

また次の幸せに繋がる。  


それは自分の周りにも(大切な人にも)

良い影響として拡がる。


どんな形で拡がる?かは分からなくていい。

予想を超える形で、思わぬ形で、拡がるのだろうから

さらっと楽しみにしてみる。




いま書いていて不意に

【幸い】ってことばが浮かんだ。

幸いって何だろう?何が幸い?という

カンパネルラの問い。宮沢賢治の問い。


視点は人の数だけあって

自分の視点でしか物事は追いかけられなくて


例えばカンパネルラの

「大好きなお母さんにとっての幸い」と

「自分にとっての幸い」は異なるかもしれない。


親孝行とか親不孝ってことば自体

自分主体じゃなくて、変だね。

これからの時代には合わない言葉だ。




[自分にとっての良いこと]基準で動けること


=【幸せ】なのだと思う



そして


自分の基準を他者に押し付けないこと、

[自分にとって良いこと]を他者から認めてもらおうとしないこと、も重要。

そこを求めるから要らぬストレスが生まれるし

自分基準からズレる。