やりたいこと
望むことは
目に見えないし言葉にもならない。
名称なんて付けられなくて
感覚で存在している。
…
簡単な例で言うと
私には
髪をすっきりさせておきたいという感覚が強くあって
ショートカット💇が好きだし
長くしてるときは とにかく結びたい。
(ほんの少しも顔に掛からないように!)
いくら一般的には下ろした方がオシャレなのだとしても
感覚的に、どうしても結びたい。
前髪も含めてひとつにまとまっている時の
感覚が好きなのだ。
…
で、本題。
ひとの こころの悩み、重さ
その解消にむけて 寄り添いたい
という感覚
根っこに常にある感覚は、コレ↑
目の前の誰かが少し緩んだのを感じたり
少し軽くなったのを感じたとき
わたしが満たされる
だから職業名や肩書きは無くてもいいし
(むしろ無いほうがしっくり来る)
その感覚を得るための手段にも
こだわりが無いんだ。
(私にできるものなら、どの手段でもいい)
ほしいのは
それが叶うときの
わたしが満たされるときの
感覚。
ここ最近、つづけて
『カウンセラーに向いてると思うよ』
『カウンセラーか何かしてる人かと思った』
みたいな言葉を言われる機会があり
少し嬉しくはあったけど
同時に違和感が湧いたのは
そういうことだ。
『いやいや…カウンセラーなんてとんでもない。恐れおおいです』
という感情からくる違和感かと、始めは思ったけど。
ただ
望む感覚を満たしたいんだ
そこには、
外から見たとき用の記号みたいなのは
要らないんだ
それが不意に分かって、嬉しい朝☀️
おはよう✨