雑談のなかで「趣味が無い、趣味を持ちたい」
という話を時々聞く。
あなたは趣味が色々あっていいねと言われたり。

そういうのを聞くたびに、うすく違和感が湧く。


今日は、ここを言語化してみる。



わたしは興味が湧けば
いろんなものに手を出すほう、かもしれない。

最近なにしてる?という話の流れから
いま興味があってやってることを人に話すと

へぇーと言いつつ
それは何のためにやってるの?
仕事にするの?
と聞きたそうな空気を感じ

そういうことに答える代わりに
『趣味だよ』と答える。


わたしの場合は
将来それが何に結びつくか、
なんて考え始めたら途端に嫌になる
と分かっている。

むかしむかし、
20代の頃、絵本作家を目指そうと思って始めた通信講座は
ほぼ取り組むことなく終わったし
30代の頃に、金銭的に何かの役に立ちそうと思って始めた
ファイナンシャルプランナー講座も同じく。


いま自分の中で過去最大級に投資して学んでいるものも『趣味』と位置づけてる。
そう話したら、学びを応援してくれている親愛なる先輩が
『贅沢な趣味だね』と目を丸くしていた目



『何のために』
『何に役立つ』
『それで稼ぐ』

と決めないこと、意識しないことは
わたしにとっては、大切。


この本を読んでいたら


『無駄(かもしれないこと)を楽しむ』
『心のゆとりを保とうとする(忙しくならないことを最重要視)』

という、わたしの生き方を
縄文時代のひとから肯定されたようで
嬉しくなった。

わたしの中に縄文の生き方が濃くあったと感じて
今まで自分のなかで持て余してた数々の感覚が
全てそこから来ていたと思えて

とても軽くなった。

何かが開けたような感じ✨✨


SHOGENさんが出ているYouTubeをInstagramで
2度も紹介してくれた あやこさん、
ありがとうございます!2度目で反応できました爆笑





『成果を上げなければ 意味が無い』ような
一般的な風潮への違和感。


『成果を出そうとしないのは現実からの逃げ』
であって、
『そんな自分のことを責めなければいけない』
と思ってしまうことへの、違和感。


そういうの、やっぱり要らなかったんだ。

今までの時代は必要だったのかもしれないけど

ここから先は、要らなくなっていく。



そういう時代を創るときが来ている

と思うと、開放感いっぱい。



わたしは
そのタイミングを味わいたかった、
と思う。





空、見上げてる?

虫の声、聴こえてる?


『今日、誰のために生きる?』より





そこに意味も成果もないけど、見上げる。