雑談のなかで「趣味が無い、趣味を持ちたい」
という話を時々聞く。
あなたは趣味が色々あっていいねと言われたり。
そういうのを聞くたびに、うすく違和感が湧く。
今日は、ここを言語化してみる。
…
わたしは興味が湧けば
いろんなものに手を出すほう、かもしれない。
最近なにしてる?という話の流れから
いま興味があってやってることを人に話すと
へぇーと言いつつ
それは何のためにやってるの?
仕事にするの?
と聞きたそうな空気を感じ
そういうことに答える代わりに
『趣味だよ』と答える。
わたしの場合は
将来それが何に結びつくか、
なんて考え始めたら途端に嫌になる
と分かっている。
むかしむかし、
20代の頃、絵本作家を目指そうと思って始めた通信講座は
ほぼ取り組むことなく終わったし
30代の頃に、金銭的に何かの役に立ちそうと思って始めた
ファイナンシャルプランナー講座も同じく。
いま自分の中で過去最大級に投資して学んでいるものも『趣味』と位置づけてる。
そう話したら、学びを応援してくれている親愛なる先輩が
『贅沢な趣味だね』と目を丸くしていた![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
『何のために』
『何に役立つ』
『それで稼ぐ』
と決めないこと、意識しないことは
わたしにとっては、大切。
『無駄(かもしれないこと)を楽しむ』
『心のゆとりを保とうとする(忙しくならないことを最重要視)』
という、わたしの生き方を
縄文時代のひとから肯定されたようで
嬉しくなった。
わたしの中に縄文の生き方が濃くあったと感じて
今まで自分のなかで持て余してた数々の感覚が
全てそこから来ていたと思えて
とても軽くなった。
何かが開けたような感じ✨✨
SHOGENさんが出ているYouTubeをInstagramで
ありがとうございます!2度目で反応できました![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
…
『成果を上げなければ 意味が無い』ような
一般的な風潮への違和感。
『成果を出そうとしないのは現実からの逃げ』
であって、
『そんな自分のことを責めなければいけない』
と思ってしまうことへの、違和感。
そういうの、やっぱり要らなかったんだ。
今までの時代は必要だったのかもしれないけど
ここから先は、要らなくなっていく。
そういう時代を創るときが来ている
と思うと、開放感いっぱい。
わたしは
そのタイミングを味わいたかった、
と思う。
…
空、見上げてる?
虫の声、聴こえてる?
『今日、誰のために生きる?』より