どの入り口から入っても

突き詰めてゆけば

同じところ(真理)に到達。



心の学びをするなら

どこか一つのところに絞るべき

(セミナージプシーは結局なにも得られない)

と、よく言われる。



たしかに その通りだと思うけど、私は

絞らずに、いろんな所を覗いてみたくて

そうしてきた。


初めに選んだ一つの場への信頼感はあって

常に そこを基礎にしているけど

そこでの学びは(私の理解が追いつかず)

納得いかないことも多かった。

そこだけでは自分が整わなかった。


だから

ホーム的な場は持ちつつ

それを補足してくれる何かを探して

あちこち、さまざま、見に行っては

補足してから またホームに戻る、

みたいなことをしていた。




あちこち見に行った中で

何年も前に ちらっと目にしただけなのに

今も助けられているものがある。



『ホ・オポノポノ』


ありがとう

ごめんなさい

ゆるしてください

あいしています


の4つを何度も唱えるというもの。

ハワイ由来のものらしい。



深いことは今も知らないけど ←


言葉の持つエネルギーが

癒やしを起こしてくれるのかな?




理屈では(思考では)

何をどうしたって解決できなくて


自分のなかで

後悔や無念や怒りや悲しみ

のようなものを持て余す

という事がある。


そういう時に


何を許してなのか

何がごめんなさいなのか

愛していますって一体だれを?

とか頭は いろいろ言ってくるけど

意味なんて分からなくても

とにかく 心で これを唱えていると

 


自分のなかで

何かが ホッとする。


あ、救われた…

と感じる。




過去とか

遺伝とか

災害とか

人間社会の諸々とか 


不可抗力に思えるような

いろんなことが複雑に絡まり過ぎて

今更どうしようもないような

絶望感のような

そんな感じに囚われたとき


唱えることで救いになるのが

 『ホ・オポノポノ』と思ってる




今朝も、不意に


あのとき(15年前か、もっと前に)

彼が「父は◯◯症だよ。そう捉えれば全て納得がいくよ」と言い出したときのことを思い出し

あのとき家族が全否定せずに

自分の現実からの逃げだなんて言わずに

せめて姉の私だけは理解し受け入れることが出来ていたら、未来は変わっていたんじゃないか


その後10年も待ってくれていたのに


父のことは

今ではすっかり受け入れている事実なのに

ナゼもっと早くに理解できなかったのか


わるいのは◯◯症ではなく

頑なに凝り固まっていた私の価値観のほうだ


…とか、よぎるわけですよ。


自分のなかで昇華済み と思っていても

時々は、よぎる。後悔が押し寄せる。

懺悔しかない。



そういうとき


ありがとう

ごめんなさい

ゆるしてください

あいしています


に助けられる。



大丈夫✨なところへ、戻って来れる。






必要なタイミングのひとがいたら


騙されたと思って


ためしてみてね。





ほら、これも

過去の自分に

今の自分が呼びかけて伝えていて


それを数年前の自分が

ちゃんと受け取っていたのだと思う




今日もスピりました。昇天






結婚記念日にもらった花たち、をムスメが撮ったもの。