どの入り口から入っても
突き詰めてゆけば
同じところ(真理)に到達。
…
心の学びをするなら
どこか一つのところに絞るべき
(セミナージプシーは結局なにも得られない)
と、よく言われる。
たしかに その通りだと思うけど、私は
絞らずに、いろんな所を覗いてみたくて
そうしてきた。
初めに選んだ一つの場への信頼感はあって
常に そこを基礎にしているけど
そこでの学びは(私の理解が追いつかず)
納得いかないことも多かった。
そこだけでは自分が整わなかった。
だから
ホーム的な場は持ちつつ
それを補足してくれる何かを探して
あちこち、さまざま、見に行っては
補足してから またホームに戻る、
みたいなことをしていた。
…
あちこち見に行った中で
何年も前に ちらっと目にしただけなのに
今も助けられているものがある。
『ホ・オポノポノ』
ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
あいしています
の4つを何度も唱えるというもの。
ハワイ由来のものらしい。
深いことは今も知らないけど ←
言葉の持つエネルギーが
癒やしを起こしてくれるのかな?
…
理屈では(思考では)
何をどうしたって解決できなくて
自分のなかで
後悔や無念や怒りや悲しみ
のようなものを持て余す
という事がある。
そういう時に
何を許してなのか
何がごめんなさいなのか
愛していますって一体だれを?
とか頭は いろいろ言ってくるけど
意味なんて分からなくても
とにかく 心で これを唱えていると
自分のなかで
何かが ホッとする。
あ、救われた…
と感じる。
…
過去とか
遺伝とか
災害とか
人間社会の諸々とか
不可抗力に思えるような
いろんなことが複雑に絡まり過ぎて
今更どうしようもないような
絶望感のような
そんな感じに囚われたとき
唱えることで救いになるのが
『ホ・オポノポノ』と思ってる
…
今朝も、不意に
あのとき(15年前か、もっと前に)
彼が「父は◯◯症だよ。そう捉えれば全て納得がいくよ」と言い出したときのことを思い出し
あのとき家族が全否定せずに
自分の現実からの逃げだなんて言わずに
せめて姉の私だけは理解し受け入れることが出来ていたら、未来は変わっていたんじゃないか
その後10年も待ってくれていたのに
父のことは
今ではすっかり受け入れている事実なのに
ナゼもっと早くに理解できなかったのか
わるいのは◯◯症ではなく
頑なに凝り固まっていた私の価値観のほうだ
…とか、よぎるわけですよ。
自分のなかで昇華済み と思っていても
時々は、よぎる。後悔が押し寄せる。
懺悔しかない。
そういうとき
ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
あいしています
に助けられる。
大丈夫✨なところへ、戻って来れる。
…
必要なタイミングのひとがいたら
騙されたと思って
ためしてみてね。
…
ほら、これも
過去の自分に
今の自分が呼びかけて伝えていて
それを数年前の自分が
ちゃんと受け取っていたのだと思う
…
今日もスピりました。![]()
結婚記念日にもらった花たち、をムスメが撮ったもの。
