私の思う、バランスの話。
いつものことながら
まとまらないままに、とりあえず、出す📝
…
私にとって、バランスは大切。
意識していなくても
本能がバランスを取ろうとする。
当然ながら
人から見てバランス良くみえるかどうかではないよ。
自分のなかでの、バランス。
我慢ばかりを 重ね過ぎていないか
または楽(ラク)ばかりを選び過ぎて
生きる力が減退し逆に不安に陥ってないか
…
自分の中のバランスと共に
自分 対 だれか
のバランスも大切。
自分だけが頑張り過ぎていないか
相手だけが頑張り過ぎていないか
お互い気楽に自由に。
というスペースをちゃんと保てているか
たとえば、夫婦で見てみると
夫婦のどちらかが すごく先を行っている場合、
(ここで言う先に行っている というのは
精神的または魂的に、の話と
物質的に
どちらかだけがしっかり結果を出しているように見える場合の話と、
2種類ある)
そういう場合、
気をつけないと、バランスは崩れやすい。
(気をつけてその関係をキープしたいかどうかは
また別の話)
先を行っているひとは
相手のことも
同じペースで引っ張って行きたくなる。
けど相手が
今そのタイミングではないとか
そっちへ向かいたくない人なら
そっちが正解だと言われ
そのぺースに乗せられることは
たとえ愛からだと分かっていても
苦痛になるだろう。
相手によって
先を行っている気がするときと
置いていかれている気がするときの
両方があるワタシで考えてみると
先を行っているときには
置いて来てしまいそうな人とのバランスが
とても気になる。
先に行き過ぎないように
無意識に自分を抑えたりしているかもしれない。
逆に、ずっと先を行っている人を見るときは
先に行ってしまう姿が後ろから見えるので
淋しさ、拗ね、が現れる。
追いつきたい気持ちも現れる。
でもそこに、今、無理やり着いていく事は
自分の中のバランスを崩す、と分かるから
縁があれば
この先のどこかでまた接点ができるだろう
と思いつつ
私は私のペースに戻り、また歩き始める。
自分が先に来てしまっていると感じる相手とは
バランス取りながら待ちたい、と思える間は待つ。
あの手この手で、
押しつけず、何げなく
こっちへ来やすくなるような種を蒔きながら。
🌱 🌱 🌱
もともと、
ひとの世界は
そういうふうに成り立っているのかもね。
時と場合によって
引っ張っていく立場になったり
後ろから見る立場になったり
そうやって互いに作用し合いながら
それぞれに進んでいく。
無理して引っ張って行かない、
無理して着いていこうしない、
その両方が、大切だと私は感じるけど
人としての自分が
バランスなんかよりも
とにかく
あの人と、あの人たちと、
足並み揃えて前に進みたいと思うなら
それはそれで、あり
なのだと思う。
