『常識』とは
集団で保持している『妄想』かもしれない
という言葉を↓のブログ記事で読んで
とても しっくり来た。
少し激しめ?だけど分かりやすい、
ホメオパシー記事⭐︎
…
私がここで呟く諸々も、読む人によって
妄想に見えたり、ヤバいひとに見えたり
すると思うけど
何が妄想で何が真実か
何がヤバいのか
判断するのは自分しかいなくて
隣の誰かに聞いても、そこに自分の正解はない。
ずっと「多数派が言っているならそれが正解でしょ」と何の疑いもなく生きてて
数年前のムスメの脱ステロイドの頃から
『今まで信じてたものって…?』
と疑問が噴き出し🌋
その流れでホメオパシーに出会って
ときめいた。
ホメオパシーは
静かに『常識』の外…なところがいい。
日本では常識の外のものだけど、
欧米では200年も前から常識の範囲内にある。
レメディを街のドラックストアで買えるらしい。
私が学ぶクラシカルホメオパシーの学校では『西洋医学と喧嘩する必要はない』と言われる。明らかに相反するものだけど、わざわざ批判したりはしない(学校によるかも)
自分が信じるもの以外を批判するのは
エネルギーの無駄遣い と思うので
自分とは違うと思っても批判しない、
そういうスタンスが良いなと思う。
自分が良いと信じるものは
自分にできるカタチで紹介し、広める。
(そのために他を落とす必要は無い)
強引にすすめたくはない
それを選ぶかどうかは相手のタイミングと判断
そういうスタンスが、しっくり来る
(エネルギー的に心地よい)
私が求めているものの本質は
そういうことなのかも。
・淡々と静かに常識の外を行きたい
・良いと思うものが、自然に じわじわ広がっていく景色を見たい
そんなんじゃダメだよ、実現しないよ、
と一般的には言われるとしても。
…
私とムスメは、薬もワクチンも使う事なく
ここ数年をずっと穏やかに過ごしてる。
コロナもインフルも罹ったけど、レメディ摂って寝て
普通に治った。後遺症も何もない。
夫はワクチンを打って “薬とレメディを併用する” を選択しているけど、徐々に使用する薬量は減ってきている。
家族3人とも、身体が健康なのと同時に
こころが どんどん健やかになっているのを感じる。
最近ムスメが
「来年は受験生だからインフルのワクチン打った方がいいかも」と言った。
一瞬は「えー…
やめてー」と思ったけど、
それがいわゆる常識的な考え なのよね。否定するのも違うな…と思う。
そろそろ自分の考え、自分の意志で決める年齢に差し掛かっているのか。
実は何年も前から
『早く自分で決められる年齢まで育ってほしい』と思ってた。
私の考えでムスメの脱ステを決めて、ムスメに辛い思いをさせ、かなり怖かった。私が決めて良かったのか何度もぐるぐる🌀してた。
親の私が決めることがムスメにとっての正解かどうか、私には分からない。
自分で決められる大人に、育ってほしい。
早めに。
あと数年、、、かな?