母に付き添って、検査結果を聞きに行った。
母はいつもは1人で通院してるけど
検査結果を聞くのが怖い時のみ、付き添いを頼まれる。


母いわく
『今回は間違いなく、入院、手術になると思う。お葬式のことも考えてる。お父さんにも昨日、話しておいたから』

…そうなのね。
それならそれで受け止めるしかない。

でもあんまり、わたし的に
そういう予感がない(重い感覚が来ない)けど
当然ながら100%自信があるわけじゃないので

一応は、私の望む現実を創造すべく
「よかったね」という結果になる感覚✨を
何度もイメージしてから出掛ける。




結果。

お医者さんいわく
『よく調べた結果、悪いものではありませんでした』『念のため、半年後にまたMRIで診ましょう。その後は1年毎で大丈夫です』



良かったね✨



実は、このパターン、ここ数年で2度目
いや、3度目か。
1度目は私も一緒に深刻になったけど
そろそろ慣れてきた。

「念のため詳しい検査を」と言われると、あっという間に「自分は不治の病」と思い込むのが母の癖。
ピンピン元気だったのに言われた翌日から「しんどい」「呼吸がくるしい」「胃の辺りが…」「あーやっぱり…」と言い出す。


『最悪の状況を予想しておいた方が、ショックが少なくて済む』というのが、母の主張。



それ、私の育った家で
常に 流れていたエネルギーだね。


心配症が過ぎて
常に先回りして最悪の事態を予想しては
そうならないように
あれこれ助言する、みたいな。

それを賢明な生き方と信じている母。



私も最近までそうだったし
今も時々その癖は顔を出すから
分かるんだけど…

『ひとは、
自分が信じ続けている通りの現実を創り出す』
と言う法則を知っていたら
絶対やらないほうが良いやつだよ真顔


ところで
母は、最悪の事態を想像し、強く思い込み
それでも「大丈夫だった」の結果を創り出せている、
これってどういうことなんだろう?

わたしが「大丈夫」のエネルギーでいるから
今わたしに見えるのがその現実であって

“この私”は見ることのなかった別のパラレルには
良くない結果の現実が存在してるのだろうか。

それとも、
母は無意識の部分で、大丈夫な方を信じてる…?


エネルギーの法則、だいぶ分かって
使えるようになってきたようで
まだ分からないことも多いなー。

でもまぁ
理解できないことが起きても
そういうこともあるよね、必要なのだろうな、
と思えるようにはなった。




で。とりあえず今日、
安心した母を実家へ送り届けた帰り道、

分厚〜い ネガティヴ眼鏡👓 を通して
世の中を見ている両親のもとで
大切に大切に育てられ

そこにネガティヴ眼鏡👓があったと気づき

吐きそうに試行錯誤しながら自分から
それ👓を取り除き

且つ,親に対して“恨み”を感じないところまで
たどり着いたワタシ、

よく頑張った✨

という気持ちが湧いてきた。


弟はじめ、関わってくれた全ての人に感謝。
その流れを作ってくれた宇宙にも、感謝✨





今は自分が親をやっているので
それらのまなびを最大限、活かす。

他のところにも、機会があれば
どんどん活かす。



目の前の小さなところ✨
私の担当のような気がしている。

感覚的に、違和感なくしっくり来る。

まずは目の前の1人を少し 幸せに近づける。

コツコツそれを積み重ねる。



後々、振り返ってみれば
その影響は案外、大きいよね。