最後のつもりだったけど、全ての人に伝えたい。(抜けてたので訂正しました)
私は自分に正直でありたいと思い、生きています。
自分に正直であるよりも、自分を殺しても人との輪を大切にしたいという人もいるでしょう。
でね、どっちでもいいんだよねきっと。
自分が生きやすいように、魂が喜ぶように生きられるなら、どっちでもいいんだと思う。
ただ、その相対する人間が存在する事実を認識する。
どちらも違う相手を認めることが出来れば、ああ、違うんだなと、でも自分はこっちなんだよねって、
私も、自分を抑えてまでも人と合わせる生き方をする人を否定はしてない
限りある人生なのにもったいないなとは思うけど。
その集団の中では違和感を感じるかもしれないけど、個としては、その違う生き方をしている人と交わる事もあるでしょう?
交わるってのは、お互いがお互いを認識してその人の本質と交わる時。
ここで言いたい「交わる」とは、決して「仲良くする」ということではありません。
どう生きてもいいんだよ、自分の生き方にケツ持てれば、そこに居る事実を認識すれば。
ただ、大事なことは ↓
これを読んでみてください。 加藤諦三氏の言葉です。
http://www.katotaizo.com/words/words23.html#85 (抜粋)↓
他人を一人一人よく見ること、である。他人に是認してもらいたいという強い願望を持っている人は、他人をその独自性において見ない。卑怯な人でも、誠意のある人でも、我執の強い人でも、寛容な人でも、ずるい人でも、優しい人でも皆同じに見えてしまう。全ての人が自分の是認の欲求の供給源として、同しように重要なのである。
すぺての人を自分の是認の欲求を満たす点からしか見ない。その点で自分に役立つか、役立たないかということだけで見る。その人が心の冷たい人か、暖かい人かというのは無視する。その人の視野が狭いか、広いかなどには無関心なのである。
(抜粋終わり)
このような人に対する見方をしている事がないか、ようく自分の心に問うてみてください。
私は自分に正直に、魂が喜ぶ生き方をしたいから、これからもそうするつもりです。
そして、同じような生き方をしている人達と居ることが居心地がいいのです。
決して外に向かって、人を出し抜いたり陥れるような事もしない。
そして、各自、違う個(尊厳・平等・自由)を認め合い、笑って生きたいと思います
でも自分を殺してまで人に合わせたり、洗脳されたロボットのように生きるひと、そのために、他者の尊厳・平等・自由を軽視する人、貶める人には、はっきりと意思表示していかなければならないと思っています。
考え直すのもアリ
是非考え直してほしいとも願います。
本来、生きる事は神様がくれたプレゼントだもの。 幸せに生きたい。
「個」の魅力を認め、違いを認める。
自分にとって最善の生き方をする。
それが出来れば、お互いにより良い人生が送れるんじゃないかしら。。。
一度きりの自分の人生だもの
自分が主役
自分の魂が喜ぶ生き方をしたいし、してほしいなと思います
追記:2022年12月10日
「自分の好きなように生きる」
そうしたいならすればいいじゃないですか?
ただ、自分がそうしたいからって他人にケツ持たせようとする人や
他人をプロパガンダでコントロールしようとする人
「自分はこう思っています」「こうします」を自分では表明せず
他人に言わせようとする人
自分で考えず言葉や表現を盗っていく人
私に憑依したり盗っていくことは、現在私は事業者なので犯罪になるのでご注意を。
他者との境界線は意識していきましょ!🌹
最後に。。。
前のブログで紹介させて頂きましたが、この映画マジでめちゃくちゃ良かったです。
DVDも出てるけど、日本語字幕版がまだのようです。
この映画を観たら、きっと少しは「他人に対する見方」が変わるのではと思います。
「人生ここにあり!やればできるのさ」