こんにちは
白い魔法使いKyokoです
沖縄
小説を書くと、色々降りてきます。
高校3年の頃、演劇部で台本を書いていました。
シーンを作ったり、
演出したり、
脚本を、書いたり。
最後は先生に直してもらい、お披露目となる中で、面白い発見がいくつもありました。
1️⃣悲劇ほど、面白くかけばより悲しさがます
2️⃣説明台詞はNG 眠くなる
3️⃣とにかく、削る。いかに捨てるかが完成度をあげる。
今、もう私の頭の中には、過去自分が体験した事を小説にしようと降りてきています。
一旦は、こっちのブログに、
【長台詞】として📝します。
それが、小説になると、書き方がどう変わるのか?
楽しんでもらえると、嬉しいです
とりあえず、ここから下は
本日時点のメモです!
「ありがとうございました。」深々と姿勢良くお辞儀した。
軽蔑するような視線を複数感じたが、泣かなかった。
4年働いたオフィスを振り返ることなく、エレベーターの「▽」ボタンを押す。
使っていた私物は屋外にある「もえるゴミ」と書かれた緑のゴミ箱に捨てた。
20xx年 夏
6時過ぎの北浜はまだ明るかった。
土佐堀川からムッとした川藻の匂いも感じるが、今日はそれすらも清々しい。
煤のついた焼き鳥屋のOPEN の看板さえも明るく感じる。
歩いて有名なケーキショップGOKANへ寄る。
ショーケースの中にある、ゴマのブラマンジェと、夏のゼリーを選んだ。
少し斜めにすると崩れてしまいそうだったが、厚紙で型を作り丁寧に箱に詰めてくれる。
地下道へと続くA-4番出口から意気揚々と階段を降りた。
帰りのラッシュに飲み込まれそうだったが、京阪北浜駅から乗る各駅電車は空いている。
発車メロディーが流れ、電車は闇を突き進んだ。
天満橋を抜け、電車が地下から地上へ出た時、寝屋川に反射した夕日が大阪城を照らすのが見えた。
膝の上に抱きかかえたケーキの箱も赤く照らされる。
あぁ、自分は生きてるんだ。
ため息をつきながら、しばらく車窓の光に見惚れた。
私は、電車に乗れなかった。
就職し、営業部に配属されてからの3年間、電車の中で地獄を味わった。
ドア横の手すりを掴み、ただひらすらに心の中で数を数え続ける。
1、2、3、4
目線を下に移す。
途中の駅でドアが開いた、一瞬に大きく息を吸う。
そしてまたドアが閉まる時にひたすら「大丈夫」と念じて手すりを強く握りしめる。
こんな生活が3年も続いた。
きっかけは、社内のいじめだった。
ある日、私が関係者に送信したファイルに利益率を推察できる資料が紛れていた。
上司がそれに気がつき、その場で逆上された。
その場にいた全員に1時間謝り続けることを強要された。
泣いて詫びる姿を面白そうに、鼻を鳴らし嘲笑った。
それからだ。
電車に乗ると、動悸がするようになった。
始めは風邪かと思っていたが、一向に改善することはなかった。
次におかしくなったのは、社内でのプレゼンの現場だ。
資料発表のタイミングになり、突然寒気がした。
喉の奥が冷たくなり、汗が止まらない。
どうにか乗り切ったが、しばらく動悸が治まらなかった。
検査を受けたが、どこも異常はない。
精神的なものかと思い、心療内科をあたったが、予約で診察は半年待ちと言われた。
症状が一向に改善しないまま、それから数ヶ月がすぎた。
忘年会のシーズン。
全員で二次会へスナックに行った時のことだ。
酔いつぶれた上司や同僚たちから、セクハラをされた。
泥酔した上司は、油性ペンを持ち、私の顔に落書きをしようとしてきた。
「やめてください!」と体を退けぞらすと、
「だから、お前はダメなんだ。こんな事平気でできるようになれよ!」と髪の毛を掴まれた時、
「あんたら、ええかげんにせぇ!」スナックのママが怒鳴った。
おかげで私は難を逃れた。
その日はどうやって帰ったか、もう忘れた。
確か、私のせいで会が台無しになったと責められたのは覚えている。
「参加したお前が悪い」
「自己責任」
「お前は誰にでも愛想がいいからだ」
「お前にはプライドがあるからダメなんだ」
「これくらい笑えないの?」
女性の先輩からも責められた。
自分が悪いのだろうか?
自分はそんなにダメなのか?
怖かった。
涙がポロポロ溢れた。
その日から景色が灰色に見えた。
何日かしたある日、過呼吸になり倒れた。
洗面所で倒れた私を発見した母が救急車を呼んでくれたが、過呼吸では搬送できないと、救急隊は帰った。
母は私を抱きしめた。
悔しそうで、とても悲しかった。
それから母は診察してくれる病院を片っ端から探してくれた。
そして、その2日後。
近所にある小さな診療所に行った。
森田先生という、細身の猫背のおじさんだった。
精神科ではなく、普通の内科で、ほとんどの患者は高齢者だ。
私は先生に症状を話した。
息が吸えない。
電車に乗れないことを伝えた。
「大丈夫やで。」
先生は、なんでもないように話した。
「息な、思いっきり吐いてみ。ふーって」
私は言われた通りに息を吐く。
「吸おうと考えんでいいねん。吐くねん。」
また思い切り息を吐く
「ふー」
吐き切った後、限界になり「わっ!」と空気が鼻から流れ込む。
久しぶりに肺の奥まで空気が満たされた。
「な。空気って勝手に入るねん。鼻の穴2つ空いてるから入ってくる。息吐けたから大丈夫。
変な病気やない。自分は大丈夫や。」
先生はそういうと、カタカタとキーボードを打つ。
「メイラックスだけ出しとくわ。飲まんでもえぇ。お守りや。これがあったら私は大丈夫。って思えるお守りや。電車乗る前に飲んでもえぇ。飲まんでもえぇ、どっちでもえぇ。持っとくだけでもえぇ」
「おっちゃんはな、病名とかつけへんねん。病名つけたらほんまにそうなってしまうから。中には病名をつけられて、安心する人もいてるんやけど、そしたらほんまに病気になってしまうねん。
そやから、自分は大丈夫や。大丈夫」
まぁ、しんどなったらいつでもおいで。
先生はそういうと、ご苦労さんと、手をひらひらさせた。
その日から少しづつ改善した。
発作も減り、過呼吸で倒れることも無くなった。
だが、どうしても電車に乗る事だけが怖かった。
ドア近くの席にしか座れない。
特急には乗れない。
準急でギリギリだった。
メイラックスでごまかしながら、祈る日々が続いた。
そんなある日。
短大の頃から仲が良かった、のんちゃんが、琵琶湖でバーベキューをしようと誘ってくれた。
それが、運命の出会いになった。