記念すべき初ブログ
私は中一の長女、小五の次女、1歳半の長男の母です
中一の長女と主に経験した、新経絡治療のこと、少しずつ思い出しながら書いて行きたいと思います。

彼女が私のもとにきてくれたのは、2000年のはじめ頃、まだ世の中がミレニアムという言葉に溢れていた頃でした。
妊娠中も経過は順調そのもの。体重が増えすぎて、たまに看護士さんに「気をつけて下さい」としかられる程度のことでした。
おなかの中にいる彼女はよく動き、いっぱいパンチやキックをして時々私を悶絶させるくらい元気。
いつ会えるんやろうとそれはそれは楽しい妊娠期間でした。

夜中3時にこの痛さは普通じゃないと思って、病院に連絡したら予定日から1週間過ぎていたこともあり、「すぐ来て下さい」とのこと。
やっと会えるんやと喜び勇んで病院へ。
痛さもそないにひどくなく、お着替えも楽しく出来ました。
陣痛室のベッドに横になり、おなかに機会を装着してもらうといよいよ感があがって、嬉しくなりました。
なんて、暢気なことを言ってられたのは最初だけ。
陣痛の間が短くなると、痛みでめげそうに。
先生に、骨盤通るかどうかとか言われたときも、「どっちでもええからもう、切って(涙)」と訴えるほどに。
お昼を過ぎて、いよいよ生まれそう!
ついてくれてはった助産師さんが慌ててる。「先生呼んで!」
ただ事ではない気配。赤ちゃんどうしちゃったの?不安。不安。
赤ちゃんの首にへその緒が巻いていて、心音が一気に下がったとのこと。
どうなるんやろうと思ってる間にスタッフの方が増える増える。
総勢何名の方がいて下さったでしょう。
それプラス、医学生、看護学生の方々にも見守られ、大人数で赤ちゃんとご対面。
…。
泣き声が聞こえない。
…。
泣き声が聞こえない。
先生がお尻を叩いてるような。
口の中に何かの管を入れられて、ぐげごがぐごごごごってな音がして、やっと、やっと泣いてくれました。
ほっと一安心。
赤ちゃんの姿を見て「?」赤ちゃんって、青いねんや。
なんと説明したらいいのやら。
ほんとにきっれーな真っ青の我が子。
クレヨンのブルーくらいの青さ。
それが初めての出産やったから解らんかってんなぁ。
赤ちゃんは赤いから赤ちゃんってことが。
今思えば、そのとき既に彼女のLDの原因があったんやなぁと。
誰もそんなことには気付かず、彼女はおっぱいをぐんぐん飲んで、元気いっぱい遊んでそれはそれはすくすくと育ってくれました。
可愛い笑顔、元気な動き、誰もこのこの将来に不安など抱かずひたすら可愛い可愛いと育っていったのですが…。
事件は起こってしまいます。
最初は静かに。