子供が産まれて早2ヶ月。
長野県に住み始めてあと一月で1年になります。
ちょっと落ち着いたのでブログを書きます。
腰を痛めて寝てるんです。。
低い姿勢でおむつを変えたりしたのがいけなかったみたい。
子供ってほんとに手がかかりますね。
子供って思ってた以上に可愛いですね。
今日は2ヶ月前の誕生日から、1ヶ月のお宮参りまで写真で振り返ります。
よく晴れた日だった。
8月31日の早朝から陣痛が始まり、お昼過ぎに産声をあげて息子が誕生しました。
一軒家の助産所でした。
何にも例え難い、嬉しい嬉しい瞬間でした。
息子はすぐに母親が胸元に抱き上げました。
大声で泣いたのは産まれたての一時だけで、ほやほやとのんびりした表情を見せています。
予定日よりちょうど1週間遅れて元気に産まれた息子は、僕に似たのんびり屋さんなのかもしれません。
母親となったばかりの妻は、胎盤と同時に出て来た出血が大量で、3人の助産師さんがてんてこ舞いに対処していました。
妻の胸元から、僕の腕の中に場所を移した息子と、初めて目が合いました。
「あっあっ」と話す息子に、「そうかそうか」と返事をしました。
上半身裸になって息子を迎えた僕は、息子の体を暖かく包み込みます。
妻の出血はまもなく無事に収まり、一段落。
助産師さんたち、本当にありがとうございました。
予定日より一週間遅れているので、大きな赤ちゃんで難産必須と思われていましたが、まぁ標準的な体重で産まれて来てくれました。
頭の大きさで体重は推定されるのですが、大きな頭は誰に似たのかしら?
今は助産所で出産する人が少数派らしいのですが、我々は助産所を選んで良かったと思っています。
お医者さんのやりやすいが為の姿勢とか、強い照明で外に出たばかりの赤ちゃんを照らすとか、へその緒を親に切らせないとか、撮影禁止とか…病院では沢山の規制と子供にやってほしくない事も沢山あるんです。
助産所だと胎盤も食べられるんですよ。
出産後の回復にうってつけの、生レバー感の肉。
我々は一口ずつ味見程度に食べました。
何より、実際に子供を産んだ妻が大満足な出産だったと言っています。
助産所、おすすめですよ。
出産から5日目。
助産所から、妻と息子が我が家に帰って来る日です。
僕は妻を迎えに行く前に、九州からやって来る自分の母親を松本空港へ迎えに行きました。
我が家は里帰り出産はしなかったので、夫婦二人で初めての子供を迎えました。
母は初孫を見に、そして家の事を手伝いに来てくれたのです。
そうこうして、お七夜を迎えました。
計算違いで1日遅れてしまうのはご愛嬌なのです。
僕は仕事帰りに命名紙を買いに行きました。
男の子向けの種類は3種類。
LINEで妻と相談して、スヌーピーの柄を選びました。
ついに息子の命名の日です。
母は、昔からお祝い事には鯛の尾頭付きを欠かしません。
僕が冒険旅行から帰宅した時にも用意してくれていました。
ありがたいことです。
息子の名前は誕生前から考えていて、
3つの候補まで絞り込みました。
あとは実際に顔を見て、ピンとくるものを選ぼうと思っていましたが、特にピンともきませんし新たに浮かんできた名前もありませんでした。
代わりに僕の中に浮かんできたのは、
“荒野・原野を旅する者よ。
どこに進もうとも良き事があります様に。”
そんな願いを込めた名を息子に贈りました。
安曇野に着いたが、空模様はずっとこんな感じ。
スカっと晴れた、北アルプスの見える安曇野を見せたかったのだが…
風景以外に見所の少ない安曇野。
しかし、母の好きな、いわさきちひろの美術館がある。
展示に感動し、絵葉書などを爆買いした母は、
我が家にもそのおすそ分けをくれた。
母と子が抱き合う優しい絵葉書は、妻のお気に入りになって壁に飾られている。
お母さんほんとうに来てくれてありがとう。
その後、母の乗る予定だった飛行機は台風の影響を受けて運行中止に。
予約も変更し、松本の滞在も伸び、そこで母の一人旅があったらしい。
それはまた別のお話…ってやつかな?
生後1ヶ月のお宮参り。
産前には安産祈願に何度か足を運んだ、近くの古くからある神社に、家族3人で行って来た。
神主の常駐していない、少し寂れた神社。
残暑の厳しい、木漏れ日の気持ち良い10月1日の大安でよく晴れた日だった。
白いドレスも紋付き袴も、僕を含めた兄弟3人が赤ちゃんの時も七五三の時も使ってきた。
我が家に由緒あるもの。
母が送ってくれた物だ。
本人の記憶に残らない所で行われてきた事。
家族が繋いでくれた優しさだったんですね。
僕も父親として。妻も母親として。
1歩を踏み出しました。
これからも頑張るよ!
そのうちのまた次回に続く。