ん? 面白くないぞ。けど、手塚治虫の下地は素晴らしい『どろろ』 | 白鴉(shiroa)のビバラムービー

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トリマと言えばこのブログでしたが、そのムーブメントはそろそろ終わりを迎えるようです。

 

しろあです。

 

しばらくはトリマ関連を検索するとこのサイトにいきつき、その関係で閲覧数が右肩上がりだったんですけど、

他の有望サイトができたのか、ここ最近めっきり検索数が減りました。

まぁ、そんなもんでしょう。

 

手塚治虫の漫画、『どろろ』。

実写映画化された時に見て、なんか消化不良を感じつつも面白かったので原作も読み、

面白いけどなんか消化不良だった記憶があります。

 

 

そんな手塚漫画の『どろろ』が2019年に再アニメ化されてました。

私の記憶が正しければ、昔々テレビがまだ白黒の時代にアニメ化してた気がします。

 

ご存じない方のために簡単に設定を説明します。

 

・時代は戦国時代の前

・醍醐という大名の国が飢饉などの厄災に襲われ危機に陥っていた。

・醍醐は「国を豊かにしてくれれば、好きなものを犠牲に捧げる」と

 鬼神と契約を交わす。

・契約は成立し、醍醐の息子は産まれた直後に人体のあらゆる部位を奪われる

・目、口、鼻、手、皮膚など奪われたその子は捨てられる。

・その子は生き延び、義手などを作る医者(?)に拾われ育てられる。

・顔は仮面、手足は義手、義足。義手を外すと刀が出てくる。

 表面上作り物の彼は人形のようである。彼は百鬼丸と名付けられる。

・百鬼丸は自分から体を奪った鬼神を倒すと、その部位を取り返すことができる。

 右腕を奪った鬼神なら、右腕を。目なら目を取り返し、目を取り返せば見えるようになる。

・そんな鬼神から体を取り返す旅をしている途中、百鬼丸は盗賊のどろろと出会い道連れとなる。

 

ほぼ第一話で語られる設定です。面白いですね。

でも、もっと面白いのはここからです。

 

・百鬼丸が体を取り返すと、醍醐の領地が荒れていく。

・百鬼丸の父、醍醐は百鬼丸を始末しようと、部下に探すよう命じる。

・醍醐には百鬼丸の弟に当たる多宝丸が産まれていた。

 多宝丸はやんちゃに育ち、強く育った彼は百鬼丸を自分の手で倒そうと考える。

 

という構造でストーリーは進んでいきます。

今回のアニメ化で鬼神の数が108体から12体(だったと思う)に激減してるとか、

設定上にもいろいろと変更があります。

基本的には1話完結で進んで行きますが、ほぼほぼオリジナルストーリーで、

 

 その話があまりに浅くつまらない!

 

というのが今回の残念ポイントです。

具体的にいうと、

 

 あれ、この話、どっかで見たことあるな。

 

そんなのばっかりです。

 

 物語までつぎはぎかよ! つぎはぎは百鬼丸だけで十分だよ!

 

って思います。

しっかし。改めてこの手塚治虫の設定が凄すぎると感心しながら見てました。

設定だけで面白すぎる。誰がどうなっても丸く収まらないジレンマ、この絶妙なバランスが面白い。

 

・国が豊かになるには、主人公の百鬼丸が滅びなければならない。

・百鬼丸は自分の体を取り返した。でもそうすると、自分の親兄弟が不幸になる。

 

直接の情はないにせよ、なかなか切ないですよね。

さらに切ない設定が

 

 百鬼丸は体を取り戻すたびに弱くなる

 

ということです。

……え? 実際には強くなってってるじゃないって??

 

そりゃアニメ制作のアレンジ設定が間違ってる。

手塚治虫の設定では、義手義足などを使うことで人間離れした力を発揮するのですが、

鬼神を倒すことで生身の人間になっていくためどうしても弱くなっていくんですよ。

しかも、義手は壊れても代わりはなんとかできますが、生身の腕ではそうはいきませんね。

 

 体が戻れば戻るほど弱くなる、というか弱い設定が愛おしく面白い!

 それが『どろろ』の私にとっての魅力なんですよ。

 

ただ設定上の明言はされてませんが、

百鬼丸の”霊力”のようなものは自分の体が戻るたびに強くなってるように感じます。

どう捉えるかはあなた次第です。

 

さてさて。

最後に”なんでこんなことしちゃった?!”という問題のある設定について数点あげましょう。

 

○ゴールデンカムイのぱくり

 

どろろの親は山賊の頭。基本的には武士を襲い、金品を巻き上げて郎党で暮らしている。

その金品の一部を実はどこかに隠していた。

それを子供に死後あげるために、母親とどろろの背中に、

暖かくなると浮かび上がる謎の入れ墨(どういう原理だ?)で、秘密の地図を彫っていた。

 

……びっくりするほどミニマムにアレンジされたゴールデンカムイです。

ゴールデンカムイは面白い。だからって、ここまで真似しなくてもいいでしょう。

しかもストーリー上はいろいろと無理がある。謎の入れ墨以上に無理がある展開。

あきれるぜ。

 

○ジョジョもぱくる

 

お腹を空かした子供のために、炊き出しの粥を貰いに来たお母さん。

けど粥をもらおうにもお椀がない。お母さんは「私の手に、お恵みください」と

熱い粥を手で受け、子供に食べさせる……という感動シーン。

 

ジョジョアニメのシリーズ構成は小林靖子さん。『どろろ』のシリーズ構成も担当されてました。

だからかわかりませんが、このシーンはジョジョの奇妙な冒険の第7部である

『スティール・ボール・ラン』の名シーンそのまんまです。ディオのお母さんの感動話。

……荒木飛呂彦もいろんな文学作品や映画からエピソードぱくってくるから元ネタはさらに

あるかもしれないけどね。

 

などなど。

私も気づいていないぱくりエピソードは他にもたくさんあると思います。

あと、この話どっかでみたことあるよなぁ、聞いたことあるよなぁというのが満載なんで、

それぞれのエピソードは

 

 おおよそ先の展開が読めます。

 

意外性が非常に薄い。

『どろろ』の秘密についても、ひた隠しにしてる割にはそれが明かされた際に

その設定がまったく活かされておらず意外性もありません。

 

よくまぁ、『どろろ』という神がかった面白設定で、ここまで凡作を作れたものだと感心します。

 

さて。

いいところを少しだけ紹介します。

なんのかんの言っても、やっぱり最後は気になるので見ちゃいます。

これは先に紹介した、百鬼丸、醍醐の因縁がどう決着するか?!

この神設定の結末は、やはりかなりの求心力があります。

 

締めくくりは、まぁ悪くありません。凡ですが。

「どろろ、キレイだ」という百鬼丸のセリフは、面白いだけじゃなく、

ぐっとくる側面もある言葉で好きです。

 

作画は素晴らしく、絵はダレることなくキレイ。

戦闘シーンも迫力、スピード感があります。

手塚治虫の絵ではなく、現代風にアレンジしての作画も好みは分かれるかもしれませんが、

私はすごく良かったと思います。

ストーリーも変な時間稼ぎは無く、テンポがいい。

それら良いところもあるから、24話と長めですけれど、

割とイッキ見できてしまうのかも知れません。

 

アニメとしては面白くない。けど、手塚治虫の設定は神がかって面白い。

そんな不思議な作品でした。