こんばんはニコニコ


前回の“歴史を辿る”ブログからずいぶん時が経ってしまいました。
色々?構想は練ってるものの、なかなか進まず(笑)

ようやく第2弾の資料が整いました!!
今回も故郷の山口県にまつわるお話です。


ゴールデンウィークに帰省、甥っ子リクエストのプチ旅行の流れで、山口県萩市に立ち寄りましたニコニコ



前回の記事にも大きく関わる…というか、当に、明治維新の立役者、吉田松陰。

松陰が生まれ過ごしたのが、山口県萩市(旧萩藩)。
そこに、当時の貴重な建物や松陰の書などが保存されています。

松陰神社入り口。



鳥居をくぐるとすぐ左手に、有名な短歌の歌碑が。


親思ふ 心にまさる 親ごころ 
けふのおとづれ 何ときくらん  寅二郎

寅二郎は松陰の通称で、この歌碑の文字は、本人の書を模写拡大したものだと記されていました。

松陰の亡くなる7日前に詠まれた歌。
安政の大獄でその身を捕らえられ、江戸は伝馬町の牢屋敷に送られた松陰。死罪覚悟の中で、したためた両親への手紙。


親を思う心にも勝る、親が子を思う心
今日の(自身の処刑の)知らせを一体どんな気持ちで受けとるのだろう

御年三十。日本の将来を憂い、己の信じる道をひたすらに突き進んだ大きな大きな男の、親に対する深くも無常な心が、ひしひしと伝わってきます。


歌碑を通り過ぎると、名だたる幕末の志士を数々輩出した松下村塾が出現しますおねがい
建物は当時のまま、世界遺産にも登録されていますキラキラキラキラ

元は、松陰の叔父、玉木文之進が自宅で開いた私塾で、それを松陰が継いだのだそう。





叔父からの教育を受け、熱心に勉学に励んだ松陰、11歳で藩主に兵学の講義を、19歳にして藩校明倫館の師範となり、尚も勉学に励んだと記されています。


松下村塾では、兵学だとか思想だとか、あらゆる学びを受けられたのでしょう。
草莽崛起(そうもうくっき)、「在野の人よ、立ち上がれ」、有名な松陰の言葉です。
士農工商という身分制度が敷かれていた時代に、武士であれ、百姓であれ、大人であれ、子供であれ、志を持ったものは身分に関係なく、誰でも時代を変えられると謳った松陰の元には、その言葉の通り、多くの塾生が在籍しました。
はじめは8畳一間から始まり、後に、教え子達によって、10畳半の講義室を増築したそうです。


松下村塾を継いだのは、28歳の時、わずか2年ほどの短い期間ではありましたが、写真の通り、日本の夜明け、明治維新で活躍した多くの志士たちがずらりキラキラ日本キラキラ
松下村塾四天王と言われる高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一の他にも、伊藤博文、山県有朋、野村靖、松浦松洞、桂小五郎(木戸孝允、塾生ではなかったようですが、明倫館で松陰の講義を受けていたそうです)などなど、錚々たる面々が。

着物を着て脇に刀を差しているチョンマゲ姿の人がいれば、洋服にネクタイ姿の人もいたりして、江戸から明治への時代の流れが垣間見れるなと、この写真を眺めながら感じたりしていました。


「先生〜」「松陰先生〜」
集まる塾生の声が聞こえて来そうです。



講義室。
兵学や思想など、ここが多くの学びを深めた場所。
身が引き締まります。

何だかわかりませんが、四方八方から、同じ写真をたくさんたくさん撮っていました(笑)


次に続きます。

※元々歴史嫌い(苦手)で、全く興味のなかった人間が劇団KAZUMA・龍美佑馬さんのお芝居に出会い、今更ながらに面白くなってきたという人間が書いた記事なので、間違いや変な解釈もあるかもしれませんぼけー

※5月5日(金)は佑馬さんのお誕生日。劇場に行くか、7日の日曜日まで帰省するか…すっっっごく悩んで留まることにしたのですが。そんな日に、萩に来れたのも何だか乙だなと自画自賛していますてへぺろ24日のお誕生日公演には必ずお邪魔いたしますチュー