自分の周りでまだ若くで亡くなった友人がいるが、
ときどき彼らのことを思い出す。


彼らが生きてきた証のようなものに触れたくなって、

慌ててインターネットであれこれ検索する。


形のないものにめいいっぱい心震わせて、彼らが良い方へ行けますようにと願ってみたりする。


喧嘩なんかもしたはずなのに、思い出すのは笑った顔ばかりで、寂しいような、嬉しいような。


人の魂にアイコンがあるのなら、笑顔って決まりがあるのか?


そういえば自分は昔ネットに詩を書いていて、

それにファンクラブなるものが存在していて、

何度かオフ会を開いて、ファンの方たちと食事行ったりして。


だけど、ある日、急にそういう自分が嫌になって、詩を投稿するのを辞めた。

ファンの方たちとも連絡を取らず、携帯を解約した。



それから何年も経ってからサイトを見に行ったら、シロ死亡説が出ていて、

それをみんなは信じているようだった。


多くの方からの、ご冥福をお祈りいたしますという言葉の羅列、


オフ会で実際に会ったときの感想を故人を悼むように色々と書かれていて、


シロはあんなことを言っていたとか、マルボロを吸っていたとか、ジンを飲んでいたとか、何で死んだんだよとか、

シロはいつ死んでもおかしくないオーラを漂わせていたとか(そんなオーラ出ていたのか?


あの、残念ながら生きていますけど?と書き込みしたい衝動にかられたが、

どうにか堪えた、そっとしておいた。


何ていうか、責任が取れないから、もうそこまでいった空気に割り込む気力がなかったし、


自分が書いた詩も、自分が亡くなったことで重みを増して、

色んな人の解釈やら考察やらで、

書いた自分自身が全く考えもしなかった意味を持って、

深い詩として扱われて、


書いた本人が、ああ、確かにそうとも取れるなぁ、なんて他人事のように思ったりして。


もうそんなところに、
あ、生きてますけど?なんて、そのあと責任持てないよね。




そんなふうに、お前はよく思い出しているから言いにくいんだけど、

とっくに生まれ変わって幸せにやってるからね?とかさ、

自分には言って欲しいよ。


残念ながら生きていますけど?でも良いな。