大掃除ならぬ、中掃除くらいになっても、まあそれはそれで。
やろう!
と、言う姿勢に意味がある!
はず!
今日、やる予定だったのですけれども、不測の事態が発生して、心が乱れました。
そう言う時こそ、掃除をするのが良いのかも?
と、いまだからこそ思うのですな。
とにかく、明日に持ち越すことにしました。
ここ数日ずっとやっているゲーム。
ストランデッドディープ。
本当は昨年中に終わらす!と、意気込んでいたゲームです。
結局終わらず、今年に入ってからはあまり手をつけていませんでした。
時々やるにしても、クリアする(エンディングを見る)ことよりも、いつのまにか、1日でも長く生存することに目的がシフトチェンジしておりました。
ゲームのランキングがあるのですけれど、最長サバイバル日数とか、最短脱出日数など、4種類ほどランキングがある中で、最長サバイバル日数のランキング100位以内に入っていることにふと気がついたのです。
おお!?
ランキングに、名前が載っている!!
と、驚くと同時に、ならばこちらを極める!と、言う気持ちになりました。
一度のプレイデータでの最長生存日数と、累計生存日数の両方がありまして、両方ともいつのまにか100位以内になっていたのです。
ああ…
こう言うランキングがあったのか。
そうか。
自分が1位になれるかもしれないランキングがあった!
と、なんだか元気になりました。
一方で、今年こそ、一度エンディングを!!
と、言う気持ちもあります。
ある意味、これも大掃除の一つなのです。
ランキングは、優劣をつけるものです。
同時に、多くの場合、ある一つの点での優劣をつけているに過ぎません。
つまり、見方を変えれば、自分が一番になれるランキングが必ず存在していると言うことです。
世の中に存在していなければ、自分自身で作ってもいい。
ある一つの点においては劣っていると評価されるとしても、自分には他の点で優れたところがある。
総合的に見れば、誰しも得手不得手があり、人に優劣などないのだ、と、感じられる。
ランキングも、捉え方によっては自分を好きになるきっかけになるんですね☺️
どんなゲームにおいても、エンディングを見ることだけがゲームの楽しみではありません。
もし、早くクリアすることが何よりも一番!と、ばかりに、最短脱出日数のランキングだけが存在していたならば、自分が特異なプレイをしているように感じたかもしれません。
実際に最長サバイバル日数というランキングが存在していることによって、それもひとつのプレイスタイルです!👏と、公式に認められたようにも感じられます。
十人十色個性があり、それぞれに独自の生き方があるように、ゲームの楽しみ方は人それぞれ。
大掃除をする人、しない人、年越しなど意識せずとも、何かが起きない限りは明日はやってくる。
新年だって、新しい1日なのだから、特別なことをせずとも、同じように明日はやってくる。
それが年の変わり目だから、特別感があるというだけのこと。
そう考えれば、気楽なものです。
ただし、いつでも、誰にでも明日が必ずやってくるとは限りません。
いつどこでなにが起こるかは、わからないし、考えても仕方のないこと。
(自分に言い聞かせています。)
だから、今を大切に。
今優先するべきことのために、他の何かを後回しにするのは、取捨選択です。
一度きりの人生、時間は限られているのですから、自分のために。
その上で、他者の力になれる人でありたい。
みんなが自分のために生きていけるように、"自分のために"とはどういうことなのかを知り、実践していく。
うまく言葉にできているか、わからないけれど。
この世界には、多くの人が生きているという事実を認識し、自分以外の人たちもまた利己的自己中心に生きていくのだという理解を持っている限り、人はどこまでも利己的自己中心であっていい。
と、わたしは思うのです。
人のために、自分のことばかり考えるな!
というのは、所詮偽善でしかない。
自己犠牲を振り翳してあなたのためにわたしはこれだけの労力を使った。
時間を割いたんだ!
これでは、互いに不幸になる。
あなたが喜ぶ顔を見ることが嬉しい。
あなたが幸せでいることが幸せだから、わたしはあくまでもわたしのために、あなたが喜ぶようなことをするように、あなたが幸せでいられるように、日々努めているのです。
そういう心の有り様は、利己的自己中心的でしょう?☺️
己の利のために、人を喜ばせたい。
自分のわがままで、人を幸せにしたい。
そういうことなのです😊