残酷歌劇「ライチ☆光クラブ」なる舞台映像にふと興味を惹かれ、深夜にも関わらず鑑賞開始。
正直、軽い気持ちでちょっと観てみようくらいの気持ちだった。
すぐに、振り付けがMIKEYさんだとわかる。
東京ゲゲゲイのメンバーが出演されていることにも気がついた。
すごい世界観にひきこまれて2時間10分。
なんとも形容し難い気持ちになると同時に、睡魔に襲われ就寝。
起きてから、改めて「ライチ☆光クラブ」について調べてみた。
元は東京グランギニョルという劇団の作品だと判明。
そして、嶋田久作さんが東京グランギニョルから演劇を始めたことを知り、妙に納得。
以前より、独特の怪しさを含む魅力を持った方だと感じていたから。
劇中、若さに美しさを見出した、まもなく14歳になろうとしている少年が、しきりに老いを醜いと主張する。
一方で、人間は老いるからこそ美しいとも語られる。
長い劇中で、人間は老いる、だから美しい。
そう語る存在は唯一無二で、語られるのは一度きり。
だからこそ、強く印象に残るのかもしれない。
ところで、何故14歳が一つの境目として浸透しているのだろうか?
かつて友人と、ショタコンは14歳までだよね、などと語り合ったことがある。
そもそも、何ゆえ14歳までが少年だというイメージが刷り込まれているのだろう?
根源はなんだろうか?
美醜の概念は常に単一ではないけれど、少年は14歳までと言う概念は単一に近いように思う。
14歳以上をまだ子供と称するのは、あくまでも未成年だからと言う感覚であり、14歳という年齢にある境界線はまた別の何かではないだろうか。
それがなんなのか、考えてみると得体が知れない。
ホルモンバランスの変化とか、科学的根拠に基づいているとしたら、それこそ14歳前後と表現されるはずだ。
何故こうも確固たるイメージに近い状態なのか。
少年法?
ではその根拠は?
と、辿っていくとドイツの刑法にたどり着く。
やはりドイツなのですね。
アウフヘーベンといい、ドイツのことを学ぶ必要が大いにありそうです。
「ライチ☆光クラブ」でも、ドイツ語が多用されていますし、ヒトラーの名前が出てきたりします。
U-NEXTだと初演も観られるらしい😱です。