昨日の記事 岩屋不動にコメントを頂きまして、
本場の霊場にも岩屋がありますと。

四国八十八ヶ所 菩提の道場と言われる愛媛県にある
第45番霊場が岩屋寺です。


ネットより写真をお借りしております。

本場は岩のスケールが違います!!!

手持ちのガイド本によりますと。。
伝説によれば、この山中に法華仙人という神通力を持つ女人がいた。来山した弘法大師に深く帰依し、一山を献じて大往生を遂げた。
そこで大師は木と石に不動明王を刻み、木造は本尊として本堂に、石像を秘仏として岩の中に祀り、山全体を本尊とした。

と あります。

同じ岩屋で、ご本尊も同じ 何か繋がりを感じますね。

弘法大師空海さんがここを訪れたのは 弘仁6年といわれています。西暦にすると815年。。空海さんが生まれたのは774年と言われているので 41歳の時?!
あら もっと若い頃なのかと思いましたが、意外に若くなかったのね。

さらに 伝説上の逸話とも言われますが、弘法大師空海さんが 江ノ島で修行したと言われているのは 弘仁5年西暦814年。。四国の霊場より一年前?!

(んー 新幹線や飛行機のない時代、関東から四国まで移動するのに数ヶ月はかかっただろうに。。)

おそらく 片瀬山の岩屋に立ちよったのも江ノ島で修行したのと同時期であろうから 四国よりも湘南の岩屋に先に来ていたということになります。

片瀬山の岩屋不動

さて、ここ藤沢で岩屋と言うと、
江ノ島の岩屋 洞窟のある所を言います。

岩屋 稚児が淵


洞窟の中から海を見たところ。

洞窟の奥は 江ノ島神社の始まりとされ、
一説には富士山と繋がっている とも言われています。
洞窟内には 様々な石仏が残されていて
古くから信仰されていたことがわかります。。。



話を四国の岩屋寺に戻します。。。

鎌倉時代には 一遍上人も来山し、修行をしたと伝わっています。

一遍上人は時宗の開祖、鎌倉仏教の開祖の中では唯一
比叡山で学んでいない僧と言われています。
各地を遊行し、踊り念仏で布教していました。
念仏信仰を唱え浄土教の先駆者となった空也を尊敬していたといわれる一遍上人の伝法スタイルは遊行と呼ばれ、(だから遊行寺の踊り念仏と六波羅蜜寺の踊り念仏は似ていたのですね!)
拠点となる寺を持たず、旅を続けながら布教することが特徴でした。時宗が拠点となる定住の寺を持つようになったのは、一遍上人の死後のことです。
藤沢には時宗の総本山 遊行寺がありますが、
開山は遊行四代呑海上人です。

一遍上人の生まれは 愛媛県松山市あたり 、 45番の岩屋寺、50番の繁多寺で修行したと言われていて、78番郷照寺では踊り念仏の道場を開いて教えを広め、真言宗と時宗が共存する珍しいお寺となっています。
(ネットやガイドブックより抜粋しています。)

さてさて 一遍上人は弘法大師空海と同じ四国の生まれ、
憧れていたのは 空也ですが、弘法大師の四国の霊場とも関わりがあったのですね。
そしてこの藤沢の地にも足跡を残しています。

江ノ島には一遍上人の島井戸があります。

飲み水に困っていた島の人々を見て 一遍上人が井戸を掘り当てたとの伝えです。

昨日も紹介した地蔵堂跡


弘法大師空海と一遍上人 生きた時代も仏の教えを説く方法は違いますが、
同じ場所で修行をしたり教えを広める活動をしていたんですね。


気になったのでちょっと調べてみたシリーズでした。
(いつからシリーズになったのか?)