ネクタイ外して野良へ・(20)・・ノリヒロさんのログハウス
すでに、敷地への道のコンクリ打ちの工事が始まっていたので、安芸の工務店の信也さんと相談して、この工房小屋を建てる予定地に、基礎となるステコンを打ってもらうことにた。
しかし、この頃になって、梅雨も本格的になって、豪雨とはならないまでも、雨の続く日が多くなって、道の工事もなかなかはかどらなかった。
そうこうする内、古くからの友人である憲弘さんから電話がかかってきた。
「今度ログハウスを建てるようになって、そのログ用の部材が来たので、現場に運び込む前の仕訳作業を手伝ってくれないか」
と言うのである。
憲弘さんと言えば、ぼくより4歳ほど上だが、若いときより山や花木が好きで、絵など描いていた芸術肌の人であった。
彼が後になって、ぼくのところに寄こしたメールによると、「私の好きな自然と風景」として「雑木林・山・草原・畑のある風景・小川のあ
る風景・峠の風景」とあった。
(建物の基礎となる捨てコン打ち)ぼくも、憲弘さんの言う風景は好きだが、ただ
一つ違うところがある。
それは、彼には「海の風景」が無いのである。
憲弘さんが今住んでいるところは、物部川に沿った場所で、今度ログハウスを建てようとしているのが、同じくその物部川のさらの上流のやはり物部川のたもとである。
ぼくの住む場所は、高知平野の一番東側、家のすぐ前が広々とした田園地帯で、そのすぐ向こうには太平洋が広がっている。海まで歩いて15分のところである。
憲弘さんにとって心のよりどころは「山」であろうか。ぼくにとっては「海」かもしれないが・・・うーむ・・・それでも「山」も捨てがたい。ずいぶんと欲張りな話である。
この「萱の里」は海も見えず、川も見えず、草原もなく、ただただ山の中である。
萱の里の森の作業も、雨や道の工事などで、ぼくの仕事もあまりなかったので、ドーリさんと共に憲弘さんのログハウスを手伝いに行くことにした。
その日もやはり雨模様の天気で、今にも雨が降ってきそうな気配であった。現場には憲弘さん夫婦と手伝いの人数人がいた。
憲弘さんのログハウスは、いわゆる丸太ログではなく、「角ログ」と呼ばれるタイプのログハウスである。
(やはり海も捨てがたい・・
自宅からすぐの海沿いの自転車道)
ログの部材は幾つかのシートに包まれて積み上げてあった。ログ材はフィンランド産のパイン材である。
「なぜ、日本の杉や檜を使わないのですか」
と訪ねると
「値段が折り合わないねえ」
とのことであった。
フィンランドと言えば、地球の裏側である。そんな遠くから材を持ってこなくとも、日本には、いやこの高知県にはたくさんの杉や檜があるではないか。しかも、ログハウスに組むための材のカッテイングも、外国の技術に負けないだけのものは持っているはずである。
それでも尚かつ地球の裏側から材を購入するということは、価格の問題である。
高知県産の杉や檜を使うより、フィンランド産の材を使うほうが安いのであろう。
ここに、日本の林業の根本問題があるように思えてならない。
林業は今や衰退の一途である。産業としての林業から、環境保全などの位置づけが重視されている。
林業は農業とは違って、息の長い仕事である。植林から材が生産されるまでには、途方もない時間がかかる。大規模林業家なら、計画的に植林・伐採など業としての森造りに励めるが、圧倒的大多数をしめる小規模林家では、林業では食って行けないのが現状である。
林業の衰退は山から若い労働力を吐き出し、その結果山は荒れ、後継者は消滅する。
それに追い打ちをかけるのが、海外からの安い材の供給である。
経済で物事が進められて行く限り、これは必然の帰結であると言える。ところが近年では森林が木材の供給という観点だけではなく、「環境の保全」という観点で見直されてきている。森林の果たす役割が多様化してきているのである。
最近ではブームのように「森に親しむ」とか「里山造り」とか言われ、「森林インストラクター」などと称する「森の解説者」まで現れて、人々の関心を森に集めようとしている。
それだけ、人々が森から遠ざかってしまっているからだろう。
しかし、山には森のことを知るたくさんの人がいる。ただ彼らは「森林インストラクター」などという肩書きを持たないだけである。
山で食って行ける方策か、環境保全のための森造りか。どちらの力関係が優位に立つのか、ぼくは感心を持って見ている。
「森に親しむ」とか「里山づくり」とかは、行政をバックにして、山で生計を立てようとする人々とは関係なく押し進められてゆくのかもしれない・・・・
いずれにしても、憲弘さんのフィンランド産のログを見て、複雑な思いをしたのである。
むろん、このログを建てようとする憲弘さんも、ぼくと同じような思いである。
憲弘さんの「庭の美学」には「雑木林」と言う言葉がたくさん出てくる。彼が若い頃から樹木に並々ならぬ感心を持っていたことは知っている。
しかし、その憲弘さんですら、山にある雑木林の全ての樹名を、森林インストラクターのように知らないかも知れない。たぶん彼にとっての雑木林や里山は、しょせん人間が付けた樹木の名前などではなく、彼の言葉を借りるなら、その森が作り出す「ゆとり」「優しさ」「詩情の漂う空間」「やすらぎと憩い」「生命の輝き」なのであろう。
かく言うぼくも、樹木の名前などあまり知らない。しかし「森」とは様々な生命が混然一体となって存在する場所である。
自然(森)は「解説」されるものではなく、自らそこに立ち自らの感性で感じとるべきものであると考えている。
憲弘さんのログ材には、その一つ一つのパーツに番号がふられている。材は大きなコンテナか何かで運ばれたのであろう、番号はまったく無視されて、ひとまとめになるように縛られている。
この大きな梱包の中から、建築作業のやりやすいように、番号準に選び出し、別の場所に集めるのである。一人でひょいと持てる小さな材から、長さ10メートルはあろうかという長い材まである。しかも、その材にはノッチと呼ばれる切れ込みが入れられている。長い材になると、この部分がたわんで折れやしないかと、慎重に3-4人で運んだ。
それにしても、一棟の家にこれだけのログ材が必要なのかと思うほど、大量の材である。とても一日では選別することはむつかしい。
ぼくらはその日一日を手伝っただけであったが、この作業に数日かかったと、後に憲弘さんが言っていた。彼のログハウスの完成は9月とのことである。
(憲弘さん夫婦・中央の二人・萱の里石梨の丘)


