〈2019年11月24日〉


今日の御朱印は円光院で頂いたものです。


円光院は、臨済宗妙心寺派の武田信玄公正室三条夫人菩提寺となります。


円光院は元々、信玄公の先祖・逸見太郎清光の創建で、清光院と号し、小石和 (現在の笛吹市石和町) にありましたが、後に武田信守が、父・信重の牌寺として成就院と改めましたとのこと。


さらに永禄三年 (1560) 信玄公が、京都より説三和尚を迎えて開山とし、当地に移しましたとのこと。


現在の寺号の起こりは、信玄公正室三条夫人が元亀元年 (1570) 7月28日に逝去し、当院に葬送された時の法名から、瑞巖山円光護持禅院と改称されましたとのこと。




《御本尊》釈迦如来




信玄公が軍陣の守本尊としていた刀八毘沙門天・勝軍地蔵尊は、天正元年 (1573) 4月12日、信玄公が陣中にて亡くなった時、武田二十四将の一人馬場美濃守信春に遺命され、当院に寄贈されましたとのこと。

これらの二体は県指定有形文化財となっており、「信玄公祭り」にあわせて御開帳されますとのこと。





三条夫人の墓所は県指定史跡となっております。三条夫人は小説やドラマで、高慢な悪妻として描かれることが多いようですが、三条夫人・武田信玄公は、余りにもかけ離れた人物像に心を痛めていることでしょう。

 


三条夫人は元亀元年 (1570) 7月28日、信玄公に先立つこと3年、50歳でその生涯を閉じましたとのこと。



菩提寺であります円光院では、三条夫人の墓所を、今なお真心を込めて とても大切に守っておられます。

それに応えるかの如く「これは三条夫人のお人柄」と確信が持てる高い波動が境内に漂っているのです。


  


墓所の案内板には


【三條夫人のお人柄の真実 

「西方一美人 円光如日 和気似春」

(快川国師の語)

これにより 暖かく穏やかな 三條夫人の婦徳高いお姿が偲ばれます。】


と書かれております。




なぜこの案内板を立てる必要があったのか…

悪印象が流布しております三条夫人の真実の姿を、世間の人々に伝えなければならない使命感からだと思います。



三条夫人のお人柄を語った快川国師とは、「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」の言葉で知られており、戦国時代から安土桃山時代にかけての、恵林寺の住職でもあった臨済宗妙心寺派の名僧とのこと。



快川国師が語られた 三条夫人のお人柄、円光院の境内では、この三条夫人のお人柄の波動も力強く漂っているのです。



「決して高慢な悪妻の波動ではありません!」と断言できます。





円光院は清々しい境内となります。

品格があり慈悲深く、温もりのあるほっとする優しさ・穏やかさ・誠実さ、人々を見守る包容力・芯の強さなどを感じ取ることができます。



私なりの言葉で表現しておりますが、このように三条夫人のお人柄も色濃く・力強く、円光院の境内に漂っているのです。





円光院の御朱印です。




今日は円光院の御朱印からお力を頂いてください。


今日も読んでくださりありがとうございました。