〈2019年11月24日〉
今日の御朱印は大泉寺で頂いたものです。
東国の源氏諸勢力のなかで名族武田氏は、遠く名将八幡太郎義家公の弟 新羅三郎義光公が甲斐の国主となり、子々孫々、甲斐守護職として統治してきましたが、室町時代中期には滅亡の危機に瀕しましたとのこと。
この時代を切り抜け、甲斐の国に武田氏の確固たる地位を築き権力をつかんだのが、信玄公の父、信虎公でしたとのこと。
源平の戦いに功績のあった信義公は、韮崎の武田の里に荘園を経営し、武田氏の祖となりましたとのこと。
其の18代目に当たる信虎公は、明応3年正月、石和の館で誕生、14才の若さで武田の名跡を継ぎ、永正16年 (1519年) に石和の地から甲府進出し、躑躅ヶ崎に居館を築き (現武田神社) 、国内統一を成し、戦国大名としての基盤を固めましたとのこと。
今日の御朱印は大泉寺で頂いたものです。
大泉寺は、大永元年3月 (1521年) 信虎公を開基として建立され、甲府古府中町夢見山麓に位置し、弟一祖は名僧の誉高い天桂禅長禅師を招き開創された曹洞宗のお寺ですとのこと。
東国の源氏諸勢力のなかで名族武田氏は、遠く名将八幡太郎義家公の弟 新羅三郎義光公が甲斐の国主となり、子々孫々、甲斐守護職として統治してきましたが、室町時代中期には滅亡の危機に瀕しましたとのこと。
この時代を切り抜け、甲斐の国に武田氏の確固たる地位を築き権力をつかんだのが、信玄公の父、信虎公でしたとのこと。
源平の戦いに功績のあった信義公は、韮崎の武田の里に荘園を経営し、武田氏の祖となりましたとのこと。
其の18代目に当たる信虎公は、明応3年正月、石和の館で誕生、14才の若さで武田の名跡を継ぎ、永正16年 (1519年) に石和の地から甲府進出し、躑躅ヶ崎に居館を築き (現武田神社) 、国内統一を成し、戦国大名としての基盤を固めましたとのこと。
開山以来、500年近い歴史と伝統を誇りとしてきましたが、第二次世界大戦による米軍空襲に会い、一瞬にして壮大な堂宇を灰燼に帰し、その後各位のご協力により復興に尽力し、現在に至っておりますとのこと。
《御本尊》釈迦如来
県指定史跡となる武田信虎公のお墓が、御霊殿の裏にございます。
信虎公を中央にして信玄公・勝頼公の三基の墓碑が並んでおります。
信虎公・信玄公・勝頼公の三基の墓碑の近くには、曽我兄弟の墓碑がございます。
信虎公の信玄誕生の瑞夢と大泉寺開山禅師の富士の裾野行脚中の体験から曽我兄弟の墓を建て供養したとのこと。
信虎公の三男、逍遥軒信綱 (信廉) が、天正2年病死した父信虎の姿を描いた、絹本著色武田信虎像は国指定重要文化財となっているそうです。
大泉寺は木々が豊かで静寂な境内となります。総門の先には、本堂に向かって真っ直ぐに伸びた長い参道がございます。
品格を保ち、堂々として悠然と構え、肝が据わり力強く、ぶれることなく芯が通り、さりげなく慈悲の波動を漂わせております境内・佇まいとなっております。
大泉寺の御朱印です。
今日は大泉寺の御朱印からお力を頂いてください。
今日も読んでくださりありがとうございました。
