『ラ・メゾン 小説家と娼婦』La maison ,2022,アニッサ・ボンヌフォン



職業に貴賎無し…なのか。それってほんとか。職業に貴賎有り。いわんや娼婦、売春婦をや。

こうした女性たちを映画史はほぼ毎年というぐらい作品の国籍を問わず描き続けている。映画にとって、飽くことなき題材、飽くことなき相性の良さ。中には当然のことながら特筆すべき名作も多いように思います。

さて本作は言わばその最新版、ニューイスト・ワーク。

娼婦/売春婦の差異がイマイチ理解できていないけれど、娼婦が娼館(この作品でいう「ラ・メゾン」)という定住地を確保しているのに対して、売春婦の場合は非定住、立ちんぼ夜鷹の個人事業主的女性たちを指すのでしょうか。私の理解が正しいのならこれらの女性たちの間にもデリケートだが明確なヒエラルキーのセグメントが効いているようにも思う。やはり「娼婦>売春婦」という序列なのか。更には人種、年齢、容姿、体型、2D/3Dなど、より綿密なセグメンテイションはそのフェティッシュな欲望に応じて無限に有るように思う。

さてこの作品がちょっとオモロいなと思ったのは、主人公のアラサー娼婦がほとんど近代的自我が確立しているかのような人物に設定していること。またその(娼婦という職業に誇りを持っている)高学歴っぽいバリバリのフェミニストが、娼館というアラレもない性欲の磁場に潜入した時、どのように立ち居振る舞うのかを赤裸々に描写していることだ。本来セックスとは、政治や文学と同様に、近代思想の因果律の埒外にある存在のはずだ。理性的理解の彼岸の果てにある化け物として名状し難い過剰なポテンシャルを秘めているもんだと私は理解しておりまする。

そんでもって振り出しに。

はてさて、トー横的現実を尻目に、この近代市民社会のどん詰まりにおいて職業の貴賎の別がどーやって克服されていくのでしょうか。放送禁止用語や『ちびくろサンボ』同様、また一つアジールの痕跡が消失するだけのデオドラントな結果に終わってしまいそうな気がするんだけど、どーなんでしょ。

  予告編


  作品データ


※以下出典根拠映画ドットコム

監督
アニッサ・ボンヌフォン
製作
クレマン・ミゼレ、マチュー・ワルテル
製作総指揮
ダビ・ジョルダーノ
原作
エマ・ベッケル
脚本
アニッサ・ボンヌフォン、ディアステーム
撮影
ヤン・マリトー
美術
クラリス・ドフシュミット、ミロシュ・マーティニアック
衣装
エマニュエル・ユーチノウスキー、フレデリック・ルロワ
編集
マキシム・ポジ=ガルシア
音楽
ジャック・バルトマン
音楽監修
サッシャ・ホワイト
キャスト
アナ・ジラルド、オーレ・アッティカ、ロッシ・デ・パルマ、ヤニック・レニエ、フィリップ・リボット、ジーナ・ヒメネス、ニキータ・ベルッチ、キャロル・ウェイヤーズ、ルーカス・イングランダー
原題
La maison
製作年
2022年
製作国
フランス・ベルギー合作
配給
シンカ
上映時間
89分

  解説


作家であることを隠して高級娼館に潜入したエマ・ベッケルが、その体験をもとにアンダーグラウンドで生きる女性たちのリアルな姿を描き、フランスで賛否両論を巻き起こしたベストセラー小説「La Maison」を映画化。

フランスからベルリンに移り住んだ27歳の作家エマ。娼婦たちの裏側に興味を抱いた彼女はその実情を理解するべく、高級娼館「ラ・メゾン」に娼婦として潜入する。一緒に働くことで顕になる女性たちの本音や、そこで繰り広げられる刺激的な出来事を、包み隠さずノートにつづっていくエマ。新たな発見に満ちた日々を送るうちに、当初は2週間だったはずが、いつしか2年もの月日が流れていく。

「パリのどこかで、あなたと」「FOUJITA」のアナ・ジラルドがエマ役で主演を務め、役作りのためパリの老舗キャバレー「クレイジーホース」で指導をうけるなどして高級娼婦役を熱演。「ワンダーボーイ」で監督としても注目される俳優アニッサ・ボンヌフォンがメガホンをとった。

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