『ライムライト』Limelight,1952,チャールズ・チャップリン



この作品を評価される方はとても多いと思います。この作品のファンだという方はおそらくもっともっと多いことでしょう。にも拘らず以下のレヴュウはかなり辛辣なものとなります。チャップリン自身に対する世評も高いだけにかなりご不快な思いされるものと予想します。したがって書いた本人が言うのも何ですが、ファンの皆さまにはこの投稿をパスされることをお勧めします。

(パスをオススメ)

1952年という“つい最近”に製作されたこのグロテスクな作品の醜悪さを黙殺することは容易だ。あるいは本質的に映画からかけ離れた反動性に憤ることでなんとか事態をやり過ごすこともできるだろう。後期チャップリン作品のセンティメンタルな物語へと逃避していく姿勢の頑なな強度に思わず苛立ち、実際に嘔吐しかけ、何度かリモコンのストップボタンに手がかかったことを告白しておく。あーしんどかった〜。

それでもこの作品のどこかに何かしらいいことないのか子猫チャン。

そもそもとっくにトーキーが始まっているにも拘らずサイレント映画に固執する醜さはもう筆舌に尽くし難い。本来のサイレント映画の持つ真の意味での革新性に対し、キャメラの可動域が飛躍的に広がり、光学的テクノロジーが画面にデリケートな姿を定着させ、何よりも自由闊達な運動性を確保しているにも拘らず、形ばかりのサイレント映画の手法にこだわる。観る者に不快な残尿感だけを残し時間だけが経過していく。これは一体いかなる心情のなせる技なのか。

彼の初期作品から『黄金狂時代』に至る、それなりに映画史に果たした肯定的な価値に対して、それらを自ら積極的に裏切るばかりか、サイレント映画の持つ映画的ラディカリズムを矮小化し、ノスタルジーと道徳的世迷言に貶める犯罪的ですらある作品、これが俗に言うチャップリン神話なるものを剥ぎ取った後の『ライムライト』という作品の実態なのだとあらためて確信する。

ほぼセット撮影、1952年に。ヌーヴェル・ヴェーグ前夜のフランス映画の寝ぼけた“巨匠たち”という名の有象無象どもが作り続けた三流紙芝居と極めて近い血縁関係を結んでいる。それに加えて物語の具体的な空間と時間に演劇ステージが当てらるアナクロニズム。非映画的であり、かつ舞台演劇の紛い物である形容し難い俗悪がそこに存在している。すでに遥か以前、溝口健二の『残菊物語』によって首がバッサリ飛んでいることに気づこうともしていない。正にリヴィング・デッドとしか思えない。

そもそも大道芸人であり舞台の上でこそ光り輝く存在としてのチャップリンの素晴らしさを人はなぜもっと強調しようとしないのか。芸人としては当代超一流であり、映画俳優としては二流であり、映画作家としては三流、後期晩年期に至っては五流以下、これが私のチャップリンに対する評価だ。ただその超一流の芸の輝きは映画の運動性と必ずしもリンクすることはなかった。いやそれどころか映画と遊離し相反してしまう。

例えば『黄金狂時代』のかの有名な食事シーン。小道具の涙ぐましい尽力もあって、今では超絶技巧などと称されもしよう、技の粋が集約している。観る者は思わず映画史における食事と運動について思いを巡らせるかもしれない。しかしそれはコッペパンとフォークを使った舞踊のことではない。念のために付言すれば当然黒皮のブーツと靴紐の優雅な食事ことでもない。それは空腹のあまりチャップリンをニワトリと見間違えたスウェインとの死闘でなくてはならないし、『黄金狂時代』が真に映画であるというのならば、私たちの眼には明らかにチャチなミニチュアと見えてしまう崖っぷちのロッジの滑稽で切迫した滑走運動をおいてほかにない。

ことほど左様に超一流芸人=エンターティナー、チャールズ・チャップリンとは、芸人として選りすぐり、磨きに磨いた芸の粋を披瀝すればするほど、映画と埋めがたい乖離を作り、やがては物語なる説話構造の中に逃避し埋没するしかない、映画から祝福はおろか愛されることのない悲劇のことを言うのだと思う。隣にバスター・キートンやハロルド・ロイドの映画的運動性を眺めながら映画からは決して愛されることのなかった自らのちっぽけな運動の限界点に何を思ったのか、私には知る由もない。

  予告編


  作品データ


※以下出典根拠映画ドットコム

監督
チャールズ・チャップリン
製作
チャールズ・チャップリン
脚本
チャールズ・チャップリン
撮影
カール・ストラス
美術
ウジェーヌ・ルーリエ
編集
ジョゼフ・エンゲル
音楽
チャールズ・チャップリン
キャスト
チャールズ・チャップリン
クレア・ブルーム
バスター・キートン
シドニー・チャップリン
ナイジェル・ブルース
ノーマン・ロイド
マージョリー・ベネット
ホイーラー・ドライデン
原題 /Limelight
製作年/1952年
製作国/アメリカ
配給/KADOKAWA
日本初公開/1953年
上映時間/138分

  解説


喜劇王チャールズ・チャップリンが監督・脚本・製作・作曲・主演を務め、老芸人と若きバレリーナの交流をつづった名作ドラマ。

チャップリンが自身の原点であるロンドンの大衆演劇を舞台に、老境に差し掛かった自らの心境を反映させて描いた集大成的作品。落ちぶれた老芸人カルヴェロは、人生に絶望して自殺を図ったバレエダンサーのテリーを助け、献身的に世話をする。カルヴェロに励まされ再び踊ることができるようになったテリーは、カルヴェロとの幸せな未来を夢見るが……。

無声映画時代のライバルであったチャップリンとバスター・キートンが初共演を果たした。「テリーのテーマ」など音楽も印象を残し、1973年・第45回アカデミー賞で作曲賞を受賞。

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