『残菊物語』1939,溝口健二



極々稀にしか体験することはないのですが、鑑賞後極々稀に胸が震える作品というものが極々僅かに、しかし確実に、存在します。
溝口健二の一連の作品群はその稀な例ではありますが、その中でも『残菊物語』は突出し屹立しています。
観る者を諦めにも似た深い嘆息と共に魂の慟哭に追い詰め返す刀で事件に導きその真空地帯ともいうべき磁場で何を言っても凡庸でしかあり得ない言葉すらをも収奪し知性を剥ぎ取り白痴化させてしまう恐るべき作品です。
「戦前にも拘らず」とか、「1939年のトーキー」とか、時代の刻印と超越なるものがどこまでこの作品の正鵠を射ているというのでしょうか。
もし製作年次がなんらかの意味を持つとすればそれは今よりもずっと19世紀に近い時代において製作されたのだということではないかと思うのです。
それは19世紀の長編小説群よりも更に散文性の高い映画というよりいかがわしいメディアにおける詩的様式美とのほとんど絶望的な闘争がドキュメンタリーとすら形容し得る手触りをもってフィルムに定着しているのです。
それはまるで20世紀に19世紀
の大文字の芸術なるものがリアルな実態として威風堂々たる姿で私たちの目の前でどっ座っているかのようです。

バックヤードもの。『天井桟敷の人々』、『鶴八鶴次郎』、『ライムライト』、『イヴのすべて』、ジャン・ルノワールの一連の作品群、自身の『瀧の白糸』…。数ある名作あれども群を抜いてこの作品だと確信します。
横移動、高低差を伴う奥行きのある前後というよりやや斜めっぽい移動、俳優たちの長台詞、運動に満ち溢れた長いダイアローグショット、いかにもトーキーらしい雑音、セットの設計建築技術、演目舞台を見つめる冷徹なドキュメンタリータッチ、前景に御簾や格子の大胆な画面構成、ローアングルの仰角、逆に高所からの緩やかな俯瞰、キャメラの動きと人物の動きと構図変化のダイナミズム、照明と影の作り方…。
これら映画なるもののあらゆる拡張運動とそれらの散文的運動を統合制御しポエティックな様式美へと収斂させようとする強靭な意志。
この散文と詩との闘争劇、相剋劇を前に、一体私たちにいかなる発語が可能だというのでしょうか。
ただただ間抜けで鈍重な言語なるものの不自由な凡庸さにあらためて苛立ちを表明し、最終的に自嘲気味に諦める所作以外にどのような手段が私たちに残されているというのでしょうか。

これで146分、短かすぎです。
もっともっと永遠に観ていたい。

映画史上、と言っても日本映画史のことではありません。
全てのあらゆる映画の中で間違いなく傑出した指折りの作品です。

老婆心ながらこれを観ずして死んではいけません。

  作品データ


※以下出典根拠映画ドットコム

監督/溝口健二
原作/村松梢風
キャスト/花柳章太郎、森赫子、高田浩吉、伏見信子、梅村蓉子
製作年/1939年
製作国/日本
配給/松竹京都
上映時間/142分

  解説


2代目・尾上菊之助の悲恋をつづった村松梢風の同名小説を映画化し、溝口健二監督の代表作のひとつとなった傑作時代劇。5代目・尾上菊五郎の養子として周囲からもてはやされて育った菊之助は、自分の芸の未熟さを率直に指摘してくれる弟の乳母・お徳に恋心を抱く。ところが、ふたりの身分違いの恋に周囲は猛反対。家を飛び出してお徳と一緒に大阪へやって来た菊之助は、旅役者になって貧しい暮らしを送るが……。

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