肺腺がんステージ3Aから5年が経過しました1️⃣ | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して38年経過しました。


                       


この1月に肺腺がんステージ3A罹患から5年が経ちました。


2019年12月に風邪かと思ってかかりつけの盛岡友愛病院呼吸器内科を受診しました。

写真には右肺中葉の肺胞に大きな影があり肺がんだと告げられました。

さらにがん細胞の転移の有無を調べるためにPET検査のできる盛岡孝仁病院を紹介され、全身撮影をしたところ果たして肺門部のリンパに一か所転移が見つかりました。


岩手医科大学附属病院呼吸器内科を紹介されて検査入院をしました。CTやMRI、気管鏡による検体採取をしたところ、進行した非小細胞肺腺がんでステージ3Aと診断されました。


入院は2020年1月の正月明けと決まり、入院後順次抗がん剤のシスプラチン投与、2週間後から放射線照射を約ひと月、その後免疫チェックポイント阻害剤のイミフィンジ(デュルバルマブ)を入院中1ヶ月、引続き退院後の11ヶ月間、各2週間ごとに1時間の点滴投与を受けました。


イミフィンジはオプジーボ(ニボルマブ)と同じく免疫チェックポイント阻害剤です。

これは遺伝子組換え製剤で、効能は手術不能の非小細胞肺腺がんステージ3Aに対して、全生存期間中央値は34ヶ月、放射線と化学療法のみの同中央値22ヶ月に比して12ヶ月の有意な効能が、多数の臨床結果として報告されているものです。


中央値というのはこの製剤を投与された患者群の、全生存期間最長ではなく最多の事例の統計数値で、つまり34ヶ月生存がもっとも多かったということです。無効の症例ではもっと短く、より有効な場合は現在の私のように発症から60ヶ月や、あるいはそれ以上の事例があります。

以下にこのPACIFIC試験の詳細記事をコピーしました。





イミフィンジは癌細胞が創出する免疫チェックポイント的自己防衛分子PD-L1に、オプジーボは同じくPD-1にそれぞれ対応する阻害剤でこれを「免疫チェックポイント阻害剤」と呼んでいます。


PD-L1及びPD-1はがんを攻撃する免疫細胞の働きにブレーキをかける分子で、がん細胞は人体の免疫機能を無効にする極めて巧妙な(狡猾な)システムを持っています。


転移があり手術のできないステージ3Aは、5年前、2020年時点の5年生存率は18〜20%で、生存期間は上に示したデータのとおり2年位と宣告されました。


私は深刻ながんに罹患するのは今回の肺腺がんステージ3Aで2度目で、前回37歳の時に罹患した「前縦隔原発・性腺外・胚細胞性腫瘍・非セミノーマ・ヨークサック」の時は五年生存率0%でしたから、今回のこの肺腺癌ステージ3Aの18〜20%の低い生存率でも全く希望の持てないものではありませんでした。

 


38年前37歳の時に罹患した悪性腫瘍の治療成績のデータです。上段6例の「セミノーマ」に比して、下段13例の「非セミノーマ」がいかに絶望的かわかります。この腫瘍はいわゆる希少がんで10万人に1人の頻度なので、上記東大病院でも当時は確立した治療方法はありませんでした。今はNon seminomaが通称になっています。



0%から比べれば18倍20倍の生存確率です。またなんと言ってもこの数字は、もう既に慣例となっている製薬会社の、一種詐欺的及びトリッキーな数値と違って、さまざまな研究機関による、沢山の治験によって得られた科学的数値ですから、たとえ大きくはない%でも患者にとっては暗夜の道を指し示す科学の灯明なのです。


私は幼い時にはコテコテの科学少年だったので、基本的に科学技術には全幅の信頼をしていました。大学病院やその研究機関及び施設の行う、現代医学的治療方法のいわゆる「標準治療」について、懐疑や不安は全くありませんでした。なぜなら肉体疾患のような物理的な問題は物理科学(もちろん医学生理学も含みます)以外には対応できないからです。


しかし生存率18〜20%の奥に潜在する数値82〜80%の不確定要素の世界には私自身が対応しなければなりません。それが荒野であるか沃野であるか、生きて歩んでみなければわかりません、私はこれこそが、各個人に専権的に与えられた生存への意志への究極のプラグマティックな生き方だと思っています。自己を信頼することが最良の道です。

たとえ私自身の亜世界のnormalcy  biasからの批判的な揶揄があっても・・・です。


先年の東日本大震災の時、大津波警報が発令されていながらも、川に見に行くとか、港の岸壁に留まって津波の様子を確かめようとする人々の姿が、YouTubeの映像に残っていますが、先端科学の粋を集約した気象庁から警報が出たのなら、素人の判断などは全く無用なことに何故気づかないのか、高等教育が普及した現代日本の中に、これほどの非科学性があることは、科学少年だった私には到底理解のできないことです。非科学的精神では病気も治しにくいと思います。


        ミルクケアの諸材料の写真


私が自分のために行った方法は以下の通りです。まず結論からいうと。

  

   1 毎日必ず2回ミルクを飲む

   2 毎日必ずニンニクを食べる

   3 体温を上げる努力をする

   4 自分ががん患者であることを忘れる


1の「毎日必ず2回ミルクを飲む」について。


離乳期のフォローアップミルクです。1食分のミルクの量はどのメーカーでも、およそ添付されているスプーン12杯で、バイエムコーソなどの粉末及び液体酵素を混ぜ、300mlのミネラルウォーター*1で良く溶かして飲みます。*1これは仙人秘水という岩手県釜石鉱山の地下深くから汲み上げられるもので、38年前のノンセミノーマの時もこの水を使いました。

およそカップ一杯のミルクで350キロカロリーです。

これは腸内フローラの活性と、それに伴う24時間に亘る腸内老廃物の排泄による腸自体の活性を図るものです。350キロカロリーはとても頼りないものですが、継続的緩慢なファスティングによる全身状態の改善も目指すものです。

ミルクによる継続的緩慢なファスティングは、癌細胞に栄養を与えず、癌細胞の活性を抑えることを目的としています。なぜファスティングや食養生という摂生が病気全般の治療に良いのか、経験上はこれを証明していますが、医学的、論理的には完全に解明されてはいません。このファスティングの中には病気治癒のための重要なファクターXが含まれているのではないかと思われています。しかし常識的な科学知識をただ概念的に受け取り、それを科学知識だとして錯覚していては、科学でも未だ解明できない「ファクターX」を無垢な幼な子のように憧憬することができません。私の老若2度の重篤な癌からの寛解はファクターXへの憧憬と信頼があったからだと思っています。


現在の免疫チェックポイント阻害剤は非常に有効な治療薬ですが、完治を考えると未だ30%前後の有効性です。残りの70%の不確定要素に向けてあらゆるファクターXを求めていかなければなりません。

私の入院は2020年1,2,3,4月の半ばまででした。冬の岩手では病院から距離があると通院が難しくなるので、一応の目処がつくまで入院措置が継続されます。

ちょうど新型コロナが熾烈に猛威を振るい始めた時でした。"20年3月29日に亡くなられた志村けんさんをはじめ、多くの愛する著名人がお亡くなりになりましたが、それでも、日本人の新型コロナによる死亡率が欧米人より低いことが話題になりましたね。そしてこれが日本人には新型コロナに対する免疫力があるのかも知れないと話題になり、その隠れた免疫力が「ファクターX」と呼ばれたことをご記憶にあれば幸いです。

あの日3月29日、普段は静かな呼吸器内科病棟の通路に各病室から人々が出てきて「ダイジョウブじゃなかったんだ」と皆が口々に同じ言葉で志村さんの逝去を驚き悼んでいたことは決して忘れられない出来事です。


2019年12月の肺腺がん確定診断翌日から、即、一日3回のミルク食を実行しました。入院までの2週間で10キロほど痩せました。入院中も1日2回はミルク食を退院日まで実行しました。さらに退院後も2年間一日2食のミルクを続けました。

入院中のミルク食摂取ですが、医師や栄養士氏に正面から説明しても「絶対に了承はされません」。医師はともかく、栄養学は確立された学説と臨床上の確固としたデータがあるので、「栄養士が個人的にその体系を曲げることはできません」

さらに粉ミルクやミネラルウォーターは一種のなま物なので、患者個人の衛生観念を無条件に信用するわけにはいかないわけです。万一事故が起きれば病院の信用にも関わります。患者が戦う相手は病ですから人と戦ってはいけません。患者はできる限り臨機応変に対処することです。


私の場合で言えば私は夜寝るのが大体未明近くなので*2朝食は摂りません。またその習慣上昼食はお粥なので固形食は食べられません。という事を申し上げて昼食は五分粥に了承していただきました。ジュースやミルクセーキと言って一日2食のミルクを飲むことができました。お粥ならミルクを飲んでも全部ではなくても食べられます。

*2について私には「概日リズム睡眠障害」という近年学説的に確立された睡眠障害シンドロームがあって早起きは到底無理なのです。でも医師や栄養士氏には言いません。障害の自己申告は誤解され嫌悪されることがあります。なぜなら自己申告の裡には自己の尊厳を放棄して、その尊厳を他者に委ねてしまうような感覚を与えかねない脆弱さがあるからです。私の睡眠リズムは私の質(タチ)なので障害ではありません。たとえ私が貧しい一個の無力な人間でも人間としての尊厳に満ち満ちているので、けっして他者に私を承認してもらう必要はありません。


LGBTの方が例えば社会性を求めて性同一性障害としてカミングアウトをすると嫌悪される場合があります。それは嫌悪する側される側ともども悲しむべき現状ですが、どこかの大統領のように性は男女だけと愚かな事をそれも大声で言っている破廉恥漢もありますが、そういう彼自身大雑把で常識的把握しかできないNormalcy bias disordersなのです。「正常性バイアス障害および「標準化偏向障害」です。大抵この種の、自分の知性をいっぺんも疑ったことのないような弱い知性の「標準化偏向人格者」には内省する能力はなく、あのパレスチナの青年が言った「豚に真珠」*3の格言がピッタリです。


医師栄養士看護師さんは上記のような者ではありませんから、患者側の個人的な事情で難題を押し付けないような配慮が出来たら良いかと思います。

*3 

聖なるものを犬にやるな、また豚に真珠を投げてやるな、おそらく彼らはそれを足で踏みつけ、向き直ってあなたがたに噛み付いてくるであろう。」

マタイによる福音書第7章6節


病の時は上記のような思いやりのない人格とはけっして争ってはいけません。不毛なだけです。


2の「毎日必ずニンニクを食べる」について。


1食の普通食に一欠け分のニンニクを摺り下ろして生で食べます。どんな方法でも良いですが、私は辛味も、匂いも避けずに食べるようにしました。どこにどんな成分が潜んでいるのか分からないからです。私は生が良いと思いますがニンニクを摂るのが目的なので自分流でやれば良いのです。

入院中は匂いもあってミルクのように隠すわけにもいかないので「キョーレオピン」を服用しました。これは湧永製薬から出ている熟成黒ニンニクの抽出液で一日2回朝夕服用します。

ニンニクというとあまりにもポピュラーで鼻白らむ方もいるかも知れませんが、5年間ミルクも含めて3食固形や搾り汁でニンニクを摂取しました。重要なファクターXだと思っています。


3の「体温を上げる努力をする」について。


私は家内に比べると体温が低いのが弱点でした。家内は必ず37度近くあるのに私は常に36度を割っていました。代謝を考えると平熱は高い方が良い筈なので体温を上げる努力をしたわけです。

2020年1月の入院初日から3シーズン毎日電気毛布を使いました。同様に3シーズン毎日、貼るカイロをお臍の上と腰にそれぞれ1〜2枚貼りました。それは血流等によって熱を全身に行き渡らせるためです。5年後の現在もそれを守っています。

現在私の平熱は36,5度くらいになっています。

色々ご意見はあるでしょうが「山はさけ海はあせなむ世」になっても私は決して譲りません。

体温を上げることは免疫機能を高めるファクターXだと思っています。

他にも方法があるだろうと揶揄する方には、寝床で布団をかぶって熱いうどんを啜ることを推奨します。


4の「自分ががん患者であることを忘れる」について。


古代パレスチナの青年は「幼な子のようにならなければ天国には入れない」と言いました。

こだわりや前提条件があっては幼な子のように無心にはなれないからです。

その対象についてこだわりや、わだかまりがあってはその対象は常に自分の一部として「付き纏って」決して自由にはなれません。もっと言えばその恐れや不安は実現する場合があります。私がこの5年間病状を記述しなかったのはそのためです。


信頼できる医療機関で納得する標準治療を受け、日常においては自らの信じる健康法をルーティン化して、人事を尽くして天命を待てば、穏やかな命を生きることができる・・・武士道と云うは死ぬことと見つけたりではありませんが、あれも生きたいこれも生きたいと欲すれば却ってあれもこれも失う道を歩むことになる・・・そう思って荒唐無稽とも言えるルーティンを信頼して日々を送りました。


禅の修行で坐禅や瞑想をするのは言語から絶して空無に至ろうとするのですが、病気療養ではそれほど厳しい行為はできないので、子供のように我を忘れて没頭できることを探すのです。人間の価値は無数にあるので、人に迷惑が及ばない限り、どんなに荒唐無稽なことでもお勧めします。

もちろん定期的検査や投薬はきちんと受けるのです。

最も良いのは国木田独歩の「武蔵野」ではありませんが、目的という「ある意味不自由な人間的規定」を持たずに漫然と「自然」に接することです。私には幼少時からの昆虫採集があるので、もう採集はしませんが捕虫網を片手に山野を逍遥する時が最も平和で安らぐ時です。捕虫網はこれらの知己をもっと近くで見たい時に網の中に入れて眺め解放するために携行します。虫と言えども🐝🐞🐛🐜🦋その瞬間命は私と等価で、種としての尊厳と個体としての尊厳を同時に無心に生きている姿に私は励まされ勇気づけられるのです。


私は多くの時間自分のがんを忘れていることができました。


   光あれとねがふとき

   光はここにあった!

   鳥はすべてふたたび私の空にかへり

   花はふたたび野にみちる

   私はなほこの気層にとどまることを好む

   空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ


          立原道造 アダジオ