スチュードベイカーはどこに行った。 | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。


小学生の頃。横浜根岸のクリフの丘の上には米軍の高級将官や軍属の居留地(インディアンみたい)があって、さながら外車の博覧会の様相を呈していました。


デッカいピックアップトラックに乗った黒人さんのSPが定期的に走り回っていましたが、現在と違って当時は総じて監視は緩やかで、子供の私たちはかなり中の方に入ることができました。だってSPの黒人さんなんかは私たちがエア銃で撃つ真似をすると走りながら運転席で「やられたー」って倒れる真似をしてくれるほどだったんですから。


このクリフの丘の上はマッカーサーやカーク中将、さらにアイゼンハワーも一時期住んでいたほどですからまあリッチな場所だったんでしょうね。


エボニーのカメラを持ってアメ車を撮りまくりました。

フォードやシボレーから始まってリンカーンやキャデラックetcなどなど。スチュードベイカーがいちばん多かったと記憶しているのですが、とにかくアメ車のあの馬鹿デカさはかなり離れないと全体が撮れなかったかどうかは定かではありませんが、とにかくデカい。また後部には羽が生えているようなスタイルになっているのもあってカッコいいけど無駄の極み。


        スチュードベイカー


大体一軒に二〜三台の駐車スペースで、一台はそのデッカいアメ車、もう一台はたとえばフォルクスワーゲンビートルやカルマンギア、MGミゼット、MGTD、ボルボ、アルファロメオや、シトロエン、ベンツ、ジャガーなど、少し離れた邸宅には門の前にMPの詰所があってポルシェやフェラーリが出入りしてまあスゴいですよね。


そうそうこのキチっと軍服を着た邸宅のMPは、さきのピックアップトラックに乗った開襟シャツの黒人のSPさんとは大違いで、私たちを睨みつけたりして威嚇をするのでした。まあなんと言ってもMPは腰のベルトには拳銃、肩には銃剣付きの自動小銃を掛けていて私たちのエア銃を使おうものならどんなことになるか恐ろしい限りでした。

なぜ邸宅ではこんなに排他的な警備があったのか?。


この邸宅は根岸湾(ミシシッピベイ)を望む高台にあってアールデコ調の美しい洋館でした。

マッカーサー元帥が1945年8月30日、厚木飛行場に専用機C-54から降り立ったときの、レイバンのサングラス🕶にコーンパイプの姿はあまりにも有名になりましたね。

あの日8月30日、マッカーサーはC-54のタラップを降りると、ひと時東京のGHQに立ち寄ってから午後この横浜根岸の邸宅に入りました。以後数年この邸宅に住みました。その後も米軍の超要人が滞在していたから厳重警戒だったのです。


横浜市中区鷺山の生まれで外人タレントのはしりのジョージ・ルイカーという人がいて、当時映画やTVドラマなどで活躍されていました。森繁の社長シリーズやクレージーキャッツの映画などに出演されて大人気で、山手のセント・ジョセフカレッジを出た生粋のハマっ子です。

子供の私にとってジョージルイカーとスチュードベイカーは○○イカーが同じな上に音の流れが似ているように思ったのでキャデラックやリンカーンなどよりも[Studebaker]が気に入っていました。

スターウォーズはダースベイダー卿ですがもしスチュードベイカー卿というのがいたら案外フィットするかも・・・。


このスチュードベイカーはもともと馬車のメーカーだったそうで意外と言えば意外ですが、馬車だけに四輪で走っているうちに自動車🚘に変わってもさほど不思議ではないか?。だって世界のTOYOTAはもともとは自動織機製造会社から発展したのですから。織機がいくら回っても自動車🚙にはなりませんものね。


さらにもう一つ、犬も大型犬が多く最も多いのはジャーマンシェパードで、ドーベルマン、グレートデン、ハイジのセントバーナードもいました。

また面白いことによく犬が自動車に乗っていて、オープンカーに乗っている時には絵になりサマになっていました。当時丘のふもとの日本では犬を車に乗せる人は絶対にいませんでしたからね。


まあとにかくクリフの丘は文化の花盛りでした。

戦前戦後のアメリカ合衆国の記憶を持つ人々にとって

 make america great again


は、たとえ「往にて再び帰り来ぬ郷愁の幻」でも切実なんでしょうね。まるで一縷の望みとして孵らぬ卵を温める鶏の姿を想像してしまいます。



ジョージルイカーさんは現在も94歳でご健在で、オーストラリアのメルボルンにお住まいだそうです。


クリフの丘のふもとの根岸馬場町には「遠藤幸吉の親戚の家」と言い習わされた家があります。馬場町から根岸橋あたりの道案内をする時にはこの「遠藤幸吉の親戚の家」を中心にして説明するのです。この辺りのお年寄りなら誰でもご存知だと思います。

遠藤幸吉さんは現在御歳97歳でご健在です。

柔道家からプロレスラーに転向されて、何と言ってもあの日本のプロレスの歴史上最も有名な試合、力道山とタッグを組んだシャープ兄弟戦で見事勝利を飾り世界タッグ選手権を獲得しました。

日本のプロレスの創立者の一人で、遠藤幸吉氏の前には氏が尊敬し憧憬する木村政彦がただ一人存在するだけです。

大山倍達、力道山、グレート東郷は同輩で後輩には吉村道明、豊登、芳の里、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などが続きます。

皆さんの故郷にも「遠藤幸吉の親戚の家」のような呼称の場所はありますか?。



PS

インディージョーンズ、クリスタルスカルの王国の中で、大学構内でのFBI(KGB)とのカーチェイス(オートバイ)でFBI(KGB)の車がスチュードベイカーだと思います。