薮川や区界(くざかい)は本州で最も寒冷な土地として知られ、それぞれ地区には幾つかの集落がある。
エルタテハは山地性の蝶で寒冷地を好むので採集のために幾度となくこの両地を訪れた。
ニンファリス ウァウアルブム サムライ
妖精の 白いV字 侍('日本の)
食草はダケカンバやウダイカンバ・シラカンバ・ハルニレなどであるが、薮川や区界ではハルニレを好んで食草(食樹)としていて個体数も多い。
和名エルタテハのLの意味は後翅裏面中室にある白いL字状の模様からとられており、ラテン語ではvauがV、albumは白という意味。ゆえにラテン語ではブイタテハという意味になる。
私は何代も続く横浜っ子だが次男坊の気楽さから偶々営業に訪れた盛岡に住んで45年になった。
当時は地方の時代でどこに行っても活気があった。山間の小集落にも多くの子供がいて希望があり幸福感に満ち溢れていたと思う。
いつ頃からだろうか、どこか翳りが見えはじめ、子供の姿が見えなくなった。
それでも盛夏のお盆には子供とその若い親の姿が戻り、迎え火や墓参りの行列、夕暮れには花火や、焼き肉の煙で賑わっていた。そして彼らが帰るときには老親が見送りに道に出て、ゆっくりと走り去る車の後ろ姿が見えなくなるまで手を振った。
この数年次々と空家が増え、お盆にも雑草の生い茂る庭に初秋の白い風が流れるだけとなった。
表題の歌は源宗宇(むねゆき)朝臣の歌で、山里の冬の寂しさを歌ったものだが、平安前期京都の冬は岩手では晩秋それも雪の降る直前の時期にあたる。
本当に人目も草も枯れてしまうただ悲しさだけの立ち込める世界である。
やがてもうすぐ集落からすべての人の姿が消えてしまうだろう。老親の遺骨はどこに埋葬するのだろう。先祖累代の野辺の墓、しかしそれも…
私は次男坊だったがどういう巡り合わせか親から祭祀を継承した。
だから私の墓は横浜のクリフの丘の菩提寺にある。
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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