文学ってほんとうに愉しいものですね。
この世にはこんなに素晴らしいものがあるのに北朝鮮もその隣国もシリアもその他の争い事の砂塵の中で争いを指揮する人々はどうしてあんなにも無教養なのでしょうか。
確かトルストイだったと思いますが、「ヨーロッパの大戦乱を描いても大小説になるが、一人の農夫の一日を描いても大小説になりうる」と言う言葉があります。
私たちひとり一人の人生の一日をランダムに抜き取って眺めてみればそれは恐らく偉大なものに違いありません。
ああ…私たちには豊かなほんとうに豊かなものが与えられているのに何という事でしょう。
『それらの人々は自分自身のためにも生まれてこなかった方が良かっただろう』*
私の聖書時代にこれと同じような言葉を読みました。
私たちは愛の大海を泳ぐ魚です。
どんな時でも私たちは愛にぴったりと包まれていて私たちのひとひれひとひれの動きに愛も優しく揺らぎます。
さかなが自分を忘れるとき透明になって、ひとひれひとひれの動きはただ海の揺らぎに見えるでしょう。
私たちこそ愛なのです。
愛が愛の大海を泳ぐのです。
* Gospel of Mark 14/21
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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