
9月9日は1年365日の中の一日で、現在この日に生まれた人は地球上で2千万人ほどです。
そして今日全世界で生まれてくる赤ちゃんは38万人で、今日もまた慶事に満ち溢れた一日です。
誕生日を指折り数えるようにして待ち焦がれている幼子や若人は、明るい未来を思い描き、また実際にこれからの人類世界を創造して行く、人類の希望です。
今日は私の68回目の誕生日です。
正月は(門松は)冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなしと言う一休宗純の狂歌がありますが、最近は確かにその通りだということが実感される九月九日となっています。
しかしこのような感慨に至るまで生かされてきたと言う事は、若人達の誕生日とはまた異なる意味で祝福に値するものですね。
重陽と言うのは易学の思想で、同じ奇数の陽と陽が重なる日は「気」が強すぎ、その悪影響を恐れて節句払いをする習わしでした。
最大の奇数の九は陽としては最大の数なので、節句としては格別な扱いがありました。
古代の人々はこの日に菊の花びらを酒杯に入れて飲んだり、菊の花びらを乗せた真綿を一夜露天にさらして、朝露に濡れた真綿で体を拭いたりしました。こうすると一年間無病息災でいられると信じられていました。

花札の菊と盃は重陽の節句に因んだもの
偽悪醜 九月九日
このように九月九日は古来より祝の日として人々に愛でられていました。
『誕生』は人間をはじめとする生き物だけではなく、国家や組織の成立についても用いられる言葉です。
国家や組織も人と同じく、成長するにつれて道に迷い、やがて程度の差こそあれ、みずからと隣人とが共に苦悩しなければならない道を歩むようになります。
全ての国家の隣人である私達の隣国も、六十九年前の誕生の日には、世界中が喜び祝福をしました。
しかし私達の隣国はその隣人によって、本来歩みたかった正道を曲げられ、邪な隣人の悪に染まって行きました。
それらの隣人は当時、全体主義及び独裁主義の権化で、あらゆる人間悪の巣窟と言っても過言ではない者達でした。
立場の弱い私達の隣国は、始めは消極的にやがては積極的に、みずからに内在する人間悪のアバターとなって行ったのでした。
六十九年目の誕生日を迎えた私達の隣国は、地政学的には六十九年前の状態と殆ど変わらぬ、隣人の隠された秋波に囲まれて、周辺の国々を巻き込む大争乱の危機を招来しました。
そしてそれは既に焦眉の急となっています。
古代には祝がれた九月九日は、現在では強すぎる重陽となり、一年の特異日となり、このままではやがて忌み嫌われる日となってしまうでしょう。
事実この数日の間にも、櫛の歯が欠け落ちるように、私達の隣国から友好の隣人が離れて行っています。
真善美 九月九日
私達の隣国は極東アジアにおける長い歴史を有する極めて高度な文明国です。
その永い歴史経験の中で、多くの賢王・英雄を輩出し、困難の時にはその深い歴史を鏡とすれば、必ずや正道に帰着することのできる数少ない恵まれた民族なのです。

白頭山(ペクトゥ山) ウキペティア
しかしながらその長い歴史の中で、常に他国に干渉・侵略され、自国の円満な文化醸成を妨げられてきました。
六十九歳の私達の隣国が、これほど頑なに自国を強調するのは、その長い辛苦の結果です。
だがこのままではやがて外の脅威には打ち勝ったとしても、内部の力による重力崩壊は必死なのではないでしょうか。
『歴史の理』を否定して無理を押し通そうとしても、馥郁たる花の咲くことはないでしょう。

ウスバキチョウ 北海道 大雪山 産
朝鮮半島北部 白頭山にも生息しています
この地球上で九月九日に生まれて今生きている2千万人の人々と、今日生まれ、生まれつつあり、生まれるであろう38万人の幼子に恥じない、義を見るに敏なる私達の隣国となられるよう、2千38万人を代表して、誕生日のお祝いを申し上げます。
さらに私達極東アジアの全ての人々が尊敬する古代の賢哲の言葉を、九月九日生まれの全ての人々の、誕生日の祝辞とさせていただきます。
子曰 人之生也直
罔之生也
幸而免
人の生くるや直し
之なくして生きるや
幸にして免るるのみ
人は生きてゆく、まっすぐに。
曲げて生きる、何とか助かるだけだ。
論語 雍也第六の十九

今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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