オプジーボ、夢の終焉。Ⅰ | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。





オプジーボにとって、後々にまで「オプジーボの失敗」と語り継がれるだろう事態が起こった。

オプジーボの製薬特許を持つ小野薬品工業の海外提携企業、米国のブリストル・マイヤーズスクイブの行った、全肺がんの85%を占める、非小細胞肺がんの米国内治験が失敗に終ったのだ。
つまり思ったような効果が得られなかったというわけである。


この事態を受けて両社の株価はともに急落し、小野薬品工業の株価は時価総額4000億円を失ったという。

私は株式投資などには興味がないので、それら洞窟の壁に写る影のような群像は、お好きなようにゆらゆらと揺れていればよいだろうと言っておく。

このオプジーボの問題には幾つかの端猊すべからざる側面があって、単純な治験失敗の顛末とは趣を異にするものがある。




オプジーボは小野薬品工業の商品名で、正式にはニボルマブと呼ばれる。
開発には京都大学の研究が大きく関わっている。

薬のカテゴリーでは「免疫チェックポイント阻害剤」と言い 、勿論新しいカテゴリーである。

ガン細胞は免疫細胞の攻撃を受けると、PD-L1というチェック分子を出して、免疫細胞に攻撃停止を命じる。つまり患者のガンに対する免疫力を著しく低下させるので免疫が働かず、細胞が無限増殖できるという能力を、ガン細胞は持っているのである。

オプジーボはガン細胞の出す、対免疫細胞チェックポイント分子、PD-L1の効力を阻害して無効にするものなので、「免疫チェックポイント阻害剤」と呼ばれるのだ。

小野薬品工業をはじめとする日本の製薬会社の資本力は、欧米の製薬会社と比べると弱く、小野薬品工業がオプジーボを携えて世界展開をするには、欧米製薬会社の資本力が必要だった。

さまざまな曲折の末、米国の大手製薬会社ブリストル・マイヤーズと提携して世界展開に乗り出したばかりだった。





ブリストル・マイヤーズはオプジーボとは多少異なるが、同様なメカニズムでガン細胞をたたく「ヤーボイ」という免疫チェックポイント阻害剤を開発及び販売をしていた。2011年にメラノーマに適用の治療薬として米国内で承認されたが、これは副作用が強く、メラノーマ以外のガンへの適応拡大は進んでいない。

ヤーボイの対応するガン細胞の免疫チェック分子はCTLAー4と呼ばれ、オプジーボより三年早く2011年に米国内承認を得た。


このCTLAー4を阻害するヤーボイの抗体をガン細胞に投与すると、自己免疫細胞が急激に暴走して、激烈な自己免疫疾患が生じるという副作用がある。

ヤーボイの副作用は大腸炎や肺炎などで、副作用での死亡例も多数報告されていると言う。これらの症例はみな自己免疫疾患であり、自己免疫が暴走した結果である。

オプジーボにも副作用の報告がある。
糖尿病や大腸炎、間質性肺炎さらに重症筋無力症での死亡例がある。

しかしヤーボイに比べるとより副作用は弱く、臨床的にコントロールしやすいというメリットがあった。
ブリストル・マイヤーズとしてもオプジーボの適応拡大でシェアを広げる意図と夢を持っていたのだった。




ここまでは一連の出来事に猜疑心を持たず受け入れるなら事は単純なのだが、私は基本的に製薬会社、それも欧米の巨大製薬企業を信用していないから事は単純には終わらない。

論理及び構造至上主義の欧米製薬企業が、今回の治験失敗のような、行き当たりばったりのドタバタを演じるわけがないと思うからだ。

そこには策略というか、とんでもない深謀遠慮が隠されているのではないかと、つい勘繰ってしまうのだが、それは私の悪しき習性だろうか。
はっきりいうと小野薬品工業は、庇を貸して母屋を取られないかという危惧である。

今回のブリストル・マイヤーズによる非小細胞肺がんの米国内臨床治験失敗も、何か裏があるのではないかと思ってしまうのだ。

これが愚かな杞憂であることを心から願うものである。

                                                                     オプジーボ 夢の終焉Ⅱに続く









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