
文藝春秋2015年2月号(宇江佐真理/私の乳ガンリポート)
宇江佐真理氏の「私の乳ガンリポート」には、沢山の作家や著名人の闘病とその死が記録されている。
慶次郎縁側日記で知られる北原亞以子(以下敬称略)、俳優林隆三、小説家中島梓、森瑤子、「100万回生きたねこ」の佐野洋子、「利休にたずねよ」の原作者山本兼一、筑紫哲也、歌人上田三四二、作家津本陽、そして作家のSさん。

ドウダンツツジ
特に中島梓については1ページを割いていて、国立ガンセンターの医師の抗がん剤治療に対して、宇江佐氏にしてはかなり強い調子で批判をしている。
「中島さんが副作用でよれよれになっているのに、『あなたは副作用があまり出ない方だから、もうすこしがんばりましょう』と、医師は無駄に励ましている。」
「頻繁にCT検査をしていることも気になった。中島さんは2~3ヶ月に一度、多い時は月に二度もCT検査を受けているのだ。」
「中島さんがどうすれば、もう少し長生きできたのかと考えると、抗がん剤をやめて放射線治療を試してもよかったのではないかと、素人考えながら思う。」
中島梓は2007年に黄疸が出て、痒みもあり、検査の結果、下部胆管癌と診断され、国立ガンセンターで胆嚢、胆管、十二指腸、膵頭を切除した。
退院して三ヶ月も経たない2008年4月肝臓に転移が発見され、抗がん剤治療に耐えながら「転移」の執筆に取り掛かったが翌年2009年5月に亡くなった。享年56歳だった。

ミツバアケビの花
佐野洋子のエピソードも面白い。緩和ケアも含めて治療費はあと幾ら掛かるのかと医師に訊ねると、1000万円と言われたので一千万円を残してカーディーラーに赴き、ブリティッシュ・グリーンのジャガーを買ったそうである。
筑紫哲也は2007年5月に肺がんが発覚すると、あらゆる先進医療を試し、鹿児島のUASオンコロジーセンターにも通った。
一時は医師から部分寛解を告げられ、本人もガンを克服したと思い、NEWS23のキャスターに復帰した。番組内で完治の宣言をしたほどである。
だが本人の思い空しく2008年5月に帰らぬ人となった。
これは私、白鳥碧の感想だが、筑紫哲也ほどの情報畑の人が、ガンについてこの程度の認識しかなかったことに正直驚く。
ガンは手術、放射線、抗がん剤の化学療法で全摘、或いは消滅させても治ったのではない。患者の体には微細なガン因子が無数に存在し、固形化に向けて時間とともに凝集していると考えなくてはいけない。
ガンが発見される前の、ガンを招いたかも知れない生活全般を改めず、治療後も以前と同じ生活では再発は容易に考えられるだろう。
私は【縦隔原発の悪性縦隔腫瘍非セミノーマ】という、稀少性からみれば十万人に一人といわれる運の悪いガンに罹患したが、運の良いことに9時間に及ぶ胸骨正中切開手術で、悪性腫瘍を全摘してもらうことができた。
筑紫哲也ならもう治ったと確信しただろう。だが私は術後のシスプラチン多剤投与を経た後でも、必ず再発すると思っていた。進行ガンは再発が早いものだ。半年から一年或いは二年を待たずにかならず再発すると思っていた。
再発するかしないか確かめてみるなどという気持ちは全くなかった。必ず再発すると思っていたし、また再発してから判断するのでは知能を持つ人間として、体に申し訳がないとも考えていた。
人体実験などと洒落て現代医学を相手にする必要は私にとって全くなかった。
私の与えられた生命は現代医学よりも遥かに尊いものではないか。
スタッフに無上の感謝はしても、医学の現代的水準に殉ずる必要はないはずだ。

ミツバウツギ
美しく死ぬよりも、真夏の強烈な直射日光に晒されて焼けた土の上で、それでもなお生きようとのたうち回るミミズの如くに、あくまでも生を求めたい。
私はそう思っていた。
身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。という言葉を小学生の時に習った。あくまでも生きようとすることだ、この行為に罰がくだる筈がない、
もし何か戸惑いがあるとすれば、それは自分の中にある狭隘な人間的虚栄だと思っていた。平たく言えばカッコをつけて粋がっている場合ではないという事だ。
当時も今も医学界では再発を予防する明確な療術はない。
再発したガンを叩く...。不謹慎だが敢えて言わせてもらう。再発したガンを叩くというもぐらたたきのような抗がん剤治療があるだけだ。
私は粉ミルクを飲むという民間療法を実行した。そして29年が過ぎた。38歳の不惑まえの青年も、知命、耳順の年を経て一昨年の誕生日には、論語にもその名のない高齢者となった。
どうして私は生きられたのだろう? 私はただ一日40本のタバコを止め、盃を伏せ、自ら焙煎するフレンチスタイルのブラックコーヒーを止め、一切の食材を断って、粉ミルクだけを飲むという生活を3年間厳密に行った。
ミルク療法(ミルクケア)を信じたのではない。そもそも私には「日常的人間」には何事かを信じることなどは到底不可能なんだという認識があった。
人を動かすものそれは、希望と直感だと子供の頃から思っていた。
その希望と直感に従って粉ミルクだけを飲むという、食生活のコペルニクス的転回を行っただけだった。
私は私の行った食生活の改善方だけが唯一無二とは言わない。
しかし私の行った事を、無根拠でエビデンスがないという医学界の者がいたとするならば、そのような心掛けだから、ガンは消滅させたが患者は死んでしまったという事が起こるのだと言おう。
更に自分たちにはガン消滅のエビデンスがあるというならこう言おう。
それは悪魔のエビデンスである
私の言葉を笑うなら嗤えばよい。だがいつまで笑っていられるだろうか。やがて真顔になるときも来よう。
宇江佐真理/私の乳ガンリポートは次回Ⅴで完結です。ご覧いただければ幸いです。
次ぎも「More better」です。
今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日
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