少し拡大すると臨場感がまします
ルリシジミ ♂ Celastrina argiolus ladonides (セラストリナ・アルギオルス・ラドニデス)
青い蝶/ヘルマン・ヘッセ
小さな青い蝶がひとつ
風に吹かれて飛んでゆく
あれは螺鈿の蜃気楼か
きらり光り、またたき、すっと消えた
そうだ、いつかわたしは見た
このようにたまゆらに煌めき
このようにゆきずりの風となって
幸福がわたしに輝き
陽炎のように消えていったのを
(白鳥 碧)
喪失・・・そして再生
西洋の「聖書」によれば【人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らを悉く滅ぼした】。
また別のセンテンスでは、やはり【人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが】やはり悉く滅ぼされたとあります。
西洋ではすべての事象は″神の思し召し”によるもので/つまりある種の人格活動の結果によるものです。
日本ではやはり同じように【食い、飲み、めとり,とつぎ、買い、売り、植え、建てなどしていた】が、無情の災厄により全ての人為の営みは、水泡のごとく消え去ります。これはもうただ無情で、そこには一片の人格的要素もありません。
日本人には恃むべき全能の人格的存在はなく、あるのは果てなき『無常』の流れだけです。
しかし私たちは、全てのともに流れゆくものに心を感じます。 共感するのです。
花を見れば散りゆく一片の花びらにも心を感じ、鳥の啼くのを聞いて、そのさえずりの一音々々にも心を感じます。
私たち日本人は果てしない『無常』の流れの中で、「有情」の世界に生きています。
よし災厄は無情に訪れても、次の瞬間には豊穣な有情の世界が広がっているのを見いだします。
私たち日本人がよって立つ所は、この有情の世界をおいて他にはなく、振りおろす一鍬こそが、新たな再生をもたらす事でしょう。
更に私たちが、この果てしない無常の流れの中で、有情の世界に甘んじていられるのは、より高い家郷ともいうべき【空】の世界を、無意識的に予感しているからだと思います。
ルリシジミはヨーロッパからユーラシア大陸北中部、北アメリカ及び中央アメリカ高地まで分布しています。年4~6回の発生でマメ科、ミズキ科、バラ科、ミカン科など広範な植物を食草としています。平地で見る青い蝶は本種の他ツバメシジミ・ヤマトシジミがありますが、ツバメシジミとヤマトシジミは低く飛ぶので区別できるかも知れません。
ヘッセの青い蝶はルリシジミの他、ヒメシジミの可能性があります。小説「ロリータ」の作家ナボコフはヒメシジミの大家でした。
今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日
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