
私は25歳の時に悟りの体験をした。
それは突然の出来事だった。
悟りは私の人生を画期的にまた決定的に変えるものだった。
しかし私は悟りなど望んだ事もなかった。
なぜならその頃の私には、私に取り憑いて離れない、生存すら圧迫するような数々の精神的諸問題の葛藤があって、それと格闘している真っ只中だったから。
更にその当時の私の認識では、悟りなどというものは釈迦や達磨など、歴史上の特別な人間が、想像を絶する努力の末に得たものだと思っていた。
だからそのような努力など、たとえ望むと望まざるとに関わらず、当時の私にはまったく不可能で無縁だと思っていたので、悟りなどには露ほどの関心もなかった。
確かに私は宗教に対して熱烈な希求性を持っていた。
幼稚園児の頃から、周りの大人が仏教や倫理の話をしていれば必ず側で聞いていた。法事の時に寺の住職から聞く法話も、一緒にきていた子供達は退屈だといって境内へ遊びに行くのが常だったが、私は聞き逃す事はなかった。
小学二年生の時に近所の公園にやってきた宣教活動の人の行為に感激して、キリスト教会の日曜学校に通い始めて以来、私はイエスに憧れる熱い情熱のクリスチャンだった。
だからといって仏教や儒教をより下位のものとして分け隔てる事はしなかった。
それは私が知識に対して貪欲だったからだと思う。
しかし教会に通ったのは二年ほどで、幼い初心の私を導いてくれた牧師さんが亡くなってからは、教会に通うことはなくなった。
私は一人で繰返し繰返し聖書を読み、イエスや使徒と共にパレスチナの荒地を幾度も幾度もさ迷った。

私が信仰に求めたのは私の人格の陶治だった。
それは既に幼稚園の頃から常識とは反りが合わず、シングルマザーの母親の止めるのも聞かず園を中退して母親を困らせたり、
小学校の授業参観でも普通では考えられない行動をして、母親に恥ずかしい思いをさせたのだろう、母親は二度と授業参観にはこなかったりした。私は良いと思ってしたことだったのだが…。
私が素直に取る行動は悉く常識から外れていて、特に常識を押し付ける大人からは嫌われていた。そして子供以外の誰に聞いても詰まるところ私が悪いのだった。だから私は普通のことができるようになりたかった。対立している大人といえども同じ人間で、彼らにも一理はあると思っていたから。
私の求める陶治とは黙示録や旧約聖書などの中で執拗に言われている最後の審判の日に、永遠の生命を得るため、神の前で自らの罪を裁かれないよう、神に愛される人間になる…事ではなく、人との関係に於いて互いに平和で幸福になれる愛に満ちた人間になる事だった。
私は人間が個人の時には善良でも、複数や集団になるととたんに禍々しい者になることを知っていた。世界中の宗教結社がそれを証明していた。

人類は第二次大戦後、理想を求めて多数の社会主義国家を生んだが、そのすべてが人間悪そのものの跳梁跋扈する世界だった。
人間はどのような文化的集団でも、時至れば必ず変成が始まり、反文化的な道に堕落して行くしかないのだと思っていた。
しかし善とは何だろう、自分の中の悪はどうやって消滅させることができるのだろうか。
数多の自己啓発の書物や社会学、心理学、哲学などを読んでも、悪の客観的説明は書かれていても、それを陶治する術は書かれていなかった。
また人間の存在理由や意味も、私の希求するようには書かれていなかった。
心の重荷はもう頂点に達していたのだろう、私の心は破裂するのではないかと思うほど、それらの日々は苦しいものだった。
ひょっとしたら…私は人間に希望を抱き過ぎていたのではないか、という考えがよぎった。
人間とは…単なる…生き物…なのだろうか?
ついに私は行き詰まったのだった。
そして終わりがきた。

以下は悟りを体験してから暫くして書きとめたその時のメモワールだが、まだ熱い思いの冷めやらぬ時期に特有の文章になっている。

『それまでの私はきわめて深刻な劣等感と虚無感に圧しつぶされそうになっていた。
具体的なことも抽象的なこともすべて私の手に余った。
漠然とした不安と焼けつくような焦燥の苦しさから、自殺をして自己存在を消滅させてしまいたかった。
生への未練と、自己憐憫の卑怯で惨めな醜悪さに直面して、無力感と羞恥の念で、身のおきどころもなかった。
事実、立っていることも、座っていることもまた、横になっていることもできない時がたびたびあった。
ほんとうに部屋全体がモノトーンの灰色に見えたこともあった。
そんな状態が6~7年続いてついに私はもう闘えなくなった。
私はついに負けたのだと思った。
自己と人間存在の根拠と意味を知ろうとした私の渇望は、つまるところ傲慢と虚栄のほかのなにものでもなかったのだと思い知らされた。
いまこうして打ちのめされているのも、野心に潜む優越への欲望を、それと知りながら省みなかった自分の浅ましさが原因だと思った。
自分は優越どころか人にくらべてすべてに劣等なんだ、劣等だからこそ優越を欲したんだ、こんな惨めな自分でもなんとか生きていたい。
だからあらゆるものに隷属し、うなだれて生きていこう、たとえ人間性までも奪われることになって、こづかれ踏みつけられても、うなだれて生きていこう・・・。
心の中のことごとくが死んだようなその夜、深い諦念のゆえか不眠に苦しんでいた私が、まぶたを涙にぬらしながら、心しずかに眠りに落ちていった。
気がつくと私は悪夢の中にいた。
閉じられた世界の中で宿命から逃れようと、無限に循環回帰する時間の中で、苦しみもがき続ける私がいた。
そのときの私は私であって私ではないと思えた。私はすべての個人の姿であるとともに、人類そのものの姿であるように感じた。さらに私はあらゆる存在者の姿であると思った。
無間の苦しみの果て、最後に私は絶望して哭きながら助けを求めた。誰に?誰にでもなかった。ただ号泣の、激しく流れ落ちる涙の中で、救いを求めて絶叫した。
その瞬間私は目が覚めた。
手にはしっかりと涙が握られていた。
そしてそのとき私の世界はまったく新しいものになっていた。
目覚めた瞬間私には心身ともに生気がみなぎり溢れていた。
もうそこには私を苦しめた相対性と、そこから派生する二律背反は跡形もなかった。
重荷も、それを背負う私も消えさっていた。
人間も宇宙も時間も、あらゆるものが無になっていた。
ただやわらかな光りだけがあった。
家郷に帰ったような懐かしさとともに、そこを離れたことは一度もなかったと感じた。
過去もなく未来もなく、ただ永遠の現在のまっただなかに満ち足りた私がいた。
それはすべてを包含して完璧だった。そして完全で絶対の幸福だった。
私は愛されていた。そしてその愛の主体は愛される私と異なるものではなかった。
私は自身が永遠そのものであることを知った。さらに私は真に自由であった。
幸福も愛も永遠も、自由からすらも解き放たれて、何も負うものはなかった。
一切はすがすがしい「空」であった。
素晴らしい、なんて私は素晴らしい存在なんだろう、すべての人間が私と同様なんだ。
ただ一瞬前の私のように、それを知らないだけなんだと思った。
私は僧門も叩かなかった。教会にも入らなかった。
ただ生涯をかけてこの体験を純化すべく、真摯に学んでゆかなければならないと思った。
過去の教典に依存せず、談論によるイメージの折衷を排して、ただ自己の思索による認識の切磋琢磨をしてゆこうと心に誓った。
人間は暗闇で母親を求めて泣き叫ぶ、いたいけな幼児のようなものだと思う。
いつの日かこの幼児のために新しい窓を開きたいと願い思索を続けること、それが私自身なのだと思った。

そして私には動かしがたいふたつの強い思いがある。
私は未だ死を体験していないが、悟りの瞬間に持った確信があった。これは悟りの前ではなく後でもなく、悟りの現在の中で感得したものである。
ひとつは死は喪失ではなく、死者は虚無におちたのではないということ。
死者は私が生きながら体験した悟りの世界で、私が味わった(今も私の裡にある)平和と幸福と愛に満ちたりて、永遠そのものになったということ。
更に死者はこの世に残したあなたのことを心配しない。
なぜならあなたもすぐにこの至福にあずかるからである。
それはいつか、次の瞬間である。
私が悟るに至った瞬間の前には、懊悩する私のこの世での生存時間があった。
人間的悟性で考えるとそれは二十五年ほどである。証明されていない輪廻や前世を含めると、いったいどれほどの時間になるのか、だが未だそのものの有無がわからない要素は切り捨てても、二十五年の時間は確実に証明できるとすれば、次の瞬間は私という存在が始まってから二十五年後のことだった。
だが私は悟りなど意識していなかったのだから「次の瞬間は突然訪れた」のである。
しかしこのような物言いは人間的価値観から出発しているのであって、悟りの究極の『空』に至ればそこには「生死」などは存在しないのである。
『空』は清々しく清浄であって、人間存在は夢どころではなく、無ですらもないのである。
悟りを得たあなたもまた愛するものを心配しない。愛するものも必ず悟りの至福を体験するという確信を、あなたもまた持つからである。
もうひとつ、悟りの世界はあなたの裡にあって、あなたとともに生きている。
人間は我の錯覚に執着して(自縄自縛して)その世界を閉ざしている。
だがやがてそれが弛緩するときがくる。
そのときあなたは愛されていることを知り、さらにあなたは愛そのものだと知って驚嘆しつつ、永遠の現在の中で至福の光に包まれて微笑むことだろう。
ほんとうの幸福はあなた自身である。
あなたは素晴らしい、心安らかに人間を生きて生きて、生きぬかれることを心から希がう。』

いまここで人間的な、「言葉による思考」で文節するならば、私はみずからの意識ではクリスチャンとして切磋琢磨をしてきたが、得たものは禅的な悟りであった。
みずからの悟りの体験からいうと、悟りはただ体験するのみであって、どんな言葉や論理をもってしても、認識することはできないと断言しよう。
では何故このようなものを書いたのかといえば、今のこの世界においても悟りは実在し、あまねく人々に日夜その可能性があることをインフォメーションしたかったからです。
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
白鳥碧のホームページ
ミルクケア