数奇なこと Ⅰ | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して38年経過しました。





私は現在67歳ですが、ここまで生きられるとは思いもしませんでした。

38歳の時にもう完全に治る見込みのない、前縦隔原発性腺外胚細胞性腫瘍非セミノーマになって病院を出たときは、私も医師もまた家族も本当にこんな日々がくるとは思いませんでした。

私は生を諦めたわけではありませんでしたが、病院の標準治療をやれば200%助からないという医学的データがあったので、現代医学の標準治療を受けるわけにはいかず、またそれに準じた医学的論理性を有する数々の合理的な治療法も恃むに足りないと考えたので尤もらしいものは皆否定せざるを得ませんでした。

まぁ平たくいえばガンの発生原因も完全にわかっていないのに【医学的論理性】なんて良く言うよと思いました。




だからその類いはどれも厚顔の持ち主が、医学的論理性という幻想を使って、個人的思惑で推しているだけのものだと考えられたので、現代医学的治療法およびそれを標榜している疑似科学性の療法は完全に拒否しました。

現在、全ガンの5年生存率は58%で、42%の患者さんが涙を飲んでいます。現代医学の標準治療には立派な論理が付随しています。その論理が正しいのなら全ガンの5年生存率は100%であるはずです。

だが42%の患者さんが助からないと言うのが現代医学の標準治療だとすれば、とても科学とは言えないと思います。

宇宙に飛び出した100機の有人宇宙船の内の42機が地球に帰還できず、むなしく宇宙の闇の中に消えて行くにも関わらず、
58機の成功例ばかりを自画自賛するようなNASAだったとしたら、誰も尊敬をしないばかりか世界中の非難の的になるでしょう。

仮に「宇宙飛行士」供養塔を建立して、しおらしくしたからといって、42人が浮かばれることはないでしょう。

どうしてもその計画を遂行したいのであれば、それぞれの宇宙飛行士に帰還できなくなることの詳細を、納得のゆくまで告げるべきです。..イヤ、宇宙飛行士にそれほどの受容力はないから出来ませんと言うのなら、それは宇宙飛行士の器量を量る自分自身が狭量で器が小さいからです。
人は自分の知る事しか想像できませんからね。

科学性も弱く人間的にも脆弱な者が、崇高であるべき医師となっているとしたら、やがて医学はAIとロボットの世界になって、怠惰で脆弱な人間力は要らなくなるでしょう。


私は自分の考え方こそ科学的だと信じていましたし、疑似医学的標準治療を拒否する判断には強い自信がありました。



しかし疑似医学的標準治療を拒否したのは賢明だと思っても、ほかにこの病気を治す方法はないものかと思っていた矢先、友人が粉ミルクを飲んでガンを治す方法があると知らせてくれました。

彼は文学青年でその広範な読書の中に、遠藤周作の書いた【23人の名治療家】という本があり、その中にこの粉ミルク療法が紹介されているというのです。

彼によれば作家の三浦綾子氏もファンからの情報でその粉ミルク療法を行ったところ、大腸がんの再発からにもかかわらず快方にむかっているというのです。

【三浦綾子氏は‘82年に直腸がんの手術をして、‘85年に再発、同年にミルク療法(ミルクケア)を始めてガンは完全治癒しましたが、のちにパーキンソン病を発症して1999年に亡くなりました。】2016年補記


私は直感的に『これだ』と思いました。この療法にどのような理屈があろうとも、私にとっては【荒唐無稽】だったからです。

粉ミルクなんか飲んでガンが治るわけがないじゃないか!それなのに遠藤周作も三浦綾子も、それぞれ紹介者と実践者として名前が出てくるなんて、単なる偶然ではないと思いました。
きっとこの粉ミルク療法というものには実力があるんだと考えたのです。



多くの人は科学的思考というものは、対象についてあれこれいちいち重箱の隅を突っつくように、しつこく検証するものだと考えていることと思いますが、私はそうは思いません。

科学でいちばん大切なのは【ひらめき】だと思います。つまり【センス】こそが科学の重い扉を開ける鍵なんだと思っています。
しつこい検証力はそのあとに必要になるもので、あくまでもひらめきとセンスが第一義だと信じます。
あの神様松下幸之助も言っています。曰く『カンの悪いやつには商売はできない』




初めて会ったその日から恋の花咲くこともある/なんて歌がありますが、私の心はもう決まっていてまだ入院中でしたが、盛岡から新幹線を乗り継いで大阪の粉ミルク療法のセンターに見学にいきました。

見学した処で何がどうなるわけでもなかったのですが、一応手順を踏んでみたのでした。
ところが治療法が荒唐無稽な上に、主宰者が輪をかけて荒唐無稽な方でした。私はこの幸福なシチュエーションに驚嘆すると同時に、自分の運がまだ尽きていないことを強く感じました。

人が新興宗教に入るときもこのような心理的状況だと思いますが、私は子どものときから最も興味があったのが宗教でしたから、そのような心理を見分けるだけの能力は持っていました。

何よりもまず教祖がいて、それを補佐するナンバー2・ナンバー3みたいのが実質的運営をするというような組織はみな、真の深い解脱や悟りという、宗教の最も肝要なものを後回しにして、組織的円満な人格を目指してしまうという、人間的な脆弱性があらわになっているものです。

こういうものを目指すなら別に宗教組織でなくても、充分にその様な人格形成は可能です。

解脱や悟りという究極的なものを目指すなら、人格も社会性も全て一度は捨て去らなければ決して得ることはできません。
解脱や悟りを求めるのは命懸けの行為だからです。

つまり組織の中にいて真理を得ようとするのは、元々真理を得ることよりも、孤独感や不安感をまぎらわそうとしているだけです。でもだからこそ組織的な宗教組織に所属すればその望みは叶えられるのです。

孤独感や不安感に負けて解脱や悟りを得ようとしないのは信仰における最大の不幸です。

以前ある組織では「空中浮遊」などというものが大きな価値を有していて、信者はみな「空中浮遊」をめざしましたが、多くの人々はそれを奇異なものとしてみましたね。
宗教組織が信者に求める社会的円満性も、空中浮遊と五十歩百歩だといったらご不快になる方もあると思いますが、私は間違っているとは思いません。

宗教について長々と書いてしまいましたが、ミルク療法も宗教だといわれたものです。

事実、ミルク療法は創始者の加藤清氏の名を冠して加藤教と呼ばれた事がありました。確かに粉ミルクを飲んでガンを治すなどというのは、詳細を知らぬ部外者からすれば、まるで荒唐無稽な神頼みのように見えた事でしょう。

愛知県半田市の元市長.竹内弘氏は‘81年に喉頭ガンでミルク療法(ミルクケア)を始めましたが、入所したばかりの時は自分以外の患者を加藤教の信者のように思ったという事です。「何が教祖だ!」と思っていたが入所3〜4日で声が出るようになって、ミルク療法(ミルクケア)が真の理想的な医療行為だと知り、みずからの不見識を笑い飛ばす事によって、認識を新たにしたと言うことです。
たけうちひろし(1924〜2005) 市長在任期間(1975〜1995)

反発しながらもミルク療法(ミルクケア)を実践するために、研修所に入所したというのも面白いですね。


                                                           







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