熱量の差はあれ、自分にはリストラーズ以外にも色々なジャンルに推しがいる(いた)。推し活をするにあたってどこまでを良しとするのかは人によって基準が異なるので非常に難しい。公式が明確にガイドラインを出していれば良いのだが、そのようなケースは稀だし例えあったとしても全てを網羅しているわけではない。


 例えば公式では「出待ち入り待ち禁止」としていても本人が「人気者になった証拠だから嬉しい」的な発言をしたりすると、出待ち入り待ちの是非について語る学級会がXや匿名掲示板で開かれ、侃侃諤諤の議論が交わされたりする。


 持ちうる技術を駆使して推しグッズを手作りする人もいる。明らかに著作権肖像権大丈夫?と心配になるようなものから、判断が微妙なものまで様々。そのグッズも自分だけで使用するならOK、家族までなら、近しい友人までなら、販売ではなく無料配布なら…と人によって良しとするラインが異なる。

 ネット上に溢れる推しの布教画像やスクショもどのような画像を上げるのかは各自の良心と判断に任されている。


 一体どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、ネットで調べてもサイトによって書いてあることが異なったりするものだから尚更混乱の元になる。


 ただ、それもこれも全てが推しへの愛が興じてのこと。別に悪意があってやっているわけではないことは皆わかっている。(まぁ中には違法アップロードをする人や転売ヤー等悪意しかない人もいるが)本人に悪気がないとわかっているからこそ、推しに迷惑をかける前にとの正義感から直接物申す人、あくまで独り言の体を取りやんわりと注意喚起をする人、アンタッチャブルな人とは関わらないのが一番と静観に徹する人など様々。


 所謂度を越した「やらかし」が増え、酷くなると推し本人が苦言を呈したり、匿名掲示板にヲチスレが立つことも。


 ファンが増えその界隈が成熟してくると推しの活動に対して愛と履き違えたダメ出しを始めたり、もっと仕事を選べと上から目線で評したり、反対におかんと化して過剰に心配する人が目につくようになり、なんだかおかしな方向に飛び火して荒れ出したり病み出したりして、学級会やお気持ち表明発表会がそこかしこで開催された挙げ句、全てが面倒くさくなったのか、担降りする人、推す事自体を辞める人、アカウントを消す人が続出する現場も見てきた。


 カオスと化した掲示板やSNSを目にするとジャンルは違えどどこの界隈でも同じような事が起こるんだとつくづく感じる。



 楽しいはずの推し活がストレスになっては本末転倒。アウトかセーフか少しでも迷うようならネットに上げないのが懸命だし、しんどいと感じるのなら一旦推しやSNSから離れた方が良い。


 そして結果として推すのを辞める事になったとしても罪悪感を感じたり公言したりする必要はないと思ってる。推し活を辞めたところで別に周囲の人は誰も何も困らないからだ。(時たま「失望したので推すのを辞めました」「嫌いになったので降ります」などとわざわざ負の言葉と共に宣言する人を見かけるが、嫌なら勝手に辞めれば良いのになぜわざわざ宣言するんだろ)


 無理しない。推しだけでなく自分の周囲の人々に対しても不快にさせない、不安にさせない、迷惑かけない、推しやその家族、関係者の目に触れたら困るような内容は呟かない。一瞬でも判断に迷ったらネットに上げない、晒さない。そして何より横を見ない。


「周りを見るな、推しを見ろ」


 本当にこれは常に重々心に留めておかないと身も心も財布も疲弊し、最悪破綻してしまう。


 推す側も推される側も楽しくストレスなく気持ちよくwin-win!ってのが理想なんだろうけど、一人一人考え方が異なるからこれまた難しい。


 と言うような事をつらつら考えながら、先日炎天下の東工大を歩いてきた。「涙のリクエスト」で、リストラーズの面々が冬枯れの芝生の上で歌い踊っていたスロープにはたくさんのトンボが舞っていた。トンボって秋のイメージだったけどこんな真夏にもいるのね。


 こうやってみるとまるで海外の大学のキャンパスみたい。なかなかに危険な暑さだが、木陰はそこそこ涼しい。キックボードで遊ぶ小学生、キャンパス見学に来たのか家族で歩く女子高生、大岡山スロープでは。レジャーシートを敷いて甲羅干しをしている人もいた。本当に地域の人に愛されている大学なんだなぁ、と。




 最近読んで面白かった本。自衛隊小説を多く世に出している有川浩の短編小説。特に印象に残ったのがブルーインパルスのパイロットのお話。熱狂的な固定ファンがいるほどアイドル的な人気を博しているがあくまで自衛官というイチ公務員であり、ただの一般人。複雑な思いを抱えるその妻目線のお話がとても興味深かった。







 

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