杉原輝雄の凄み | 白井剛雄のブログ

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永ちゃんとゴルフをこよなく愛す男です。

身長161センチの体で通算54勝も積み重ね、マムシの異名を持った伝説のゴルファーがいた。

誰よりも飛ばなくても勝ち続けた杉原輝雄である。

肘を曲げた五角形スイングは個性的であったが、見事なスイングプレーンから正確無比のショットを生み出した。

 

その正確さで飛距離不足を補っていたわけだが、長尺ドライバーやツーピースボールをいち早く使用したり、晩年近くには加圧式の筋力トレーニングにも取り組み、飛距離へのこだわりも強かった。

それでも飛距離は先天的な要素が強いので、限界がどうしてもある。そこで、飛距離では劣るジャンボ尾崎や青木功に対抗するために練習の鬼と化したのである。

日本アマ6勝の伝説のアマチュアゴルファーの中部銀次郎氏がプロ入りを断念した理由の一つが、杉原プロのすさまじい練習を垣間見たことによるという逸話は中部氏の著書にも記されている。

 

もともと杉原プロはデビュー当時はフックボールで悩んでいて、それを防ぐためにあの独特の五角形スイングが誕生したと言われている。

しかし、当時は現代のようにあらゆる名人たちのスイングをネットで簡単に見れるわけもなく、若き杉原プロもご自身のスイングに確信が持てずにいた。

 

そんな折に当時のトッププロの宮本留吉氏とラウンドする機会に恵まれたのである。そしてこのラウンドが杉原プロの運命を変えることとなった。

宮本プロは当時の杉原プロにしてみれば雲の上の存在。やすやすと話しかけるのも憚られる存在であった。ゆえに自身のスイングについても宮本プロに問うことができずに、ホールを消化して行くこととなったのである。

 

そんな状況の中で転機は突然訪れた。

杉原プロが13番ホールのティーショットを打った後、宮本プロが一言つぶやいたのである。

「杉、それでええ!」

その瞬間、杉原プロは天にも昇る気持ちであったろう。のちに、この時に自身のスイングに確信を持ったと述懐している。

 

フックグリップのあの独特の五角形スイングはフェースローテションを限りなく抑えて、フック防止を徹底している素晴らしいそれである。

しかもあの力強さ。トップから一気に体ごとボールに向かって行く迫力は半端ではなく、まさしくダウンブローの権化である。

 

もちろんトッププロは誰しもがスイングに凄みや力強さを備えているが、杉原プロのそれには魂の凄みも加わっているように思える。力学以上の凄みを感じさせるのである。

 

晩年にガンに侵されても現役を続行する姿はまさに生きる凄みを体現していたと言えよう。

 

その一方で、お人柄は誠実そのもの。試合中でもティーグラウンドのごみを拾ったり、体調不良で試合を休んでもプロアマには参加した。プロアマではギャラリーのサインにも気さくに応じ、同伴競技者には熱心にレッスンした。

 

人との待ち合わせにには絶対遅刻せず、15分から30分前には到着していたという。

ミスショットをしてクラブを放り投げたり、クラブで地面を叩くプロに対しては真っ向から批判した。

 

貧しい時代にプロになり、スポンサーや所属コースのありがたみを身に染みているからこそ決して不義理をしない人だった。

そういえば那須の子天狗と言われた小針春芳プロも、他のコースからどんな高給を提示されても生涯那須ゴルフクラブの所属で通した義理に熱い方だった。

 

ウェアはマンシング、ボールはキャスコ、クラブはパワービルト。生涯通した仁義であった。

 

ちなみに杉原プロの命日は私の誕生日と同日で、勝手に運命めいたものを感じてしまった。

葬儀も近親者のみで質素に執り行われ、派手を好まない人柄がにじみ出ていた。そのかわりお別れの会には多くの方が参列し、杉原プロを偲んだ。

 

偉大過ぎるマムシであった。